十三式大回転

アクセスカウンタ

zoom RSS 蟲の檻。(4)

<<   作成日時 : 2006/03/04 22:25   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


氷室鐘は冷静に見えるが、別段それほど冷静という訳でもない。
ただ、そういうキャラを演じているだけだ。
演じている内にそれが本当になってしまっただけだ。
今や嘘も真もない。
一階の教室に、五人は避難していた。
微かに息をする桜を、氷室は冷たい視線で見る。
(荷物にしか、ならない)
浮かんだ思考を否定する訳もなく、唯頷いた。
そうだ、この女は今や荷物にしかならない。
私達が生きるための障害にしかならない。
置いていこう。
その結論に達した。
荷物は下ろして身軽になろう。
この子は良くは知らない。
こっちの命を懸けてまで、助けたいとも思わない。
「小山」
氷室は、足を摩っている小山に手招きをした。
首で廊下に出ろと促す。
怪訝そうな顔をしたが、小山は何も言わず付いてきた。
氷室は、自分の後ろ姿を蒔寺と由紀香が見ているのを感じたが特になにもしなかった。
「間桐を置いていこう」
その言葉に、小山は渋い顔をした。
「それしかないっすかね」
彼は、小山悟は優しくはない。
確かにある程度に優しさは持っているが、それ以上は無かった。
友人ですら無い人間を命を懸けてまで助けたいと思う程正義感がある訳もなかった。
「まあ、しょうがないっすね。諦めてもらいましょう」
ばりばりと頭を掻いて、小山は頷いた。
「ここに置いていけば、運が良ければ見つからないっすよ」
自分を納得させるように何度も頷いていた。
「お前は、由紀と蒔を連れて上にあがってくれ」
「うっす」
「私は…………ここに残る」
由紀は優しい子だから、彼女を此処に置いていく事を反対するだろう。
だったら、彼女を納得させる程度には桜と一緒にいてやる事も必要だった。
「直に、後を追う」
小山は頷いて、教室の中に戻った。
氷室は、廊下に一人取り残される。
ゆっくりと、壁に寄りかかった。
「―――――は」
いつから自分はこんなに冷たい人間になったのか。
元々こうだったのか? それともこの異常事態に適応する為に自分を変化させているのか?
わからない、わからないが。
「鐘ちゃん」
扉から顔を出していた由紀香に笑みを返した。
―――――この子を守れるのなら。
「……何だ?」
こんな私も悪くないのではないかと、少し思った。



小山と蒔寺、そして由紀香が出て行ってから数分後、ゆっくりと氷室鐘は立ち上がった。
殺すべきか。
一瞬、思考が過ぎる。
この女が、自分に不利益を及ぼさぬとも限らない。
ふ、と笑みが漏れた。
随分とくだらない事を考えるものだ。

顔色は土気色、息は拙く、生気は感じられない。

こんな状態の人間など放っておけば勝手に死ぬに違いない。
あのバケモノに食われて死ぬかもしれないが。
どっちにしろ、自分があれこれ考える事ではない。
由紀と蒔はここから離れたし、自分ももう去る。
「……あ」
桜が小さい声を漏らした。
うっすらと目が開いている。
置いていこうとしている私を恨んでいるのか、それとも何か一言でも言いたいのか。
「…………い………ん」
瞳は未だに氷室を見ている。
氷室は溜息をついて、桜の口元に耳を寄せた。
遺言になるかもしれないなら、聞いてやるぐらいならいいだろうと思ったのだ。
そして桜は再度呟いた。
「兄、さん」
え、とはっきりと聞こえたその声に疑問を抱く間も無く。
氷室は己の真後ろに居た人物―――――間桐慎二に後からナイフを突き立てられた。
そのまま桜に覆いかぶさるように倒れ込み、血反吐を吐く。
(なん、だと)
氷室は思った。
死ねない。
死にたくないではなく、死ねない。
何だかんだ言って、由紀と蒔は二人ともお人よしだ。
あの二人がこんな状況で生き残れるか?
できるわけがない。
二人の笑顔が過ぎった。
明るい、蒔。走る姿はしなやかで、とても綺麗だった。
優しい、由紀。いつでも笑っていて、何時も強い子。
肺を刺されたのか、血がぼたぼたと、口からこぼれる。
ああ、生きていて欲しいな。
生きて、欲しいな。
あの子達の為なら、私は―――――

氷室の思いも、何も関係なく、もう一撃ナイフが振り落とされ氷室鐘は絶命した。

―――――なんだってできるのに。




「鐘ちゃん、大丈夫かな」
「いや、大丈夫っすよ。皆と合流したら俺が呼んできますって」
小山は先頭を歩きながら、軽い声で言った。
しかし、内心は冷や汗ものである。
氷室鐘から、二人には桜を置いていくという事を悟られるなと厳重に言われていた。
(あの人、結構美人なんだけど怖いからなあ)
苗字の通りの冷たい瞳を思いだす。
実質、冷たい人間なのだろう。
それで色々損をしていると思うが。
(まあ、いいけどな)
それで困るのは自分ではない、氷室鐘だろう。
冷たい人間なのか、冷たく見える人間なのかは知らないが。
小山は慎重に歩を進めていた。
上の階にはバケモノが未だいる筈だった。
唯、あの巨体だ。音を立てずにはいられまい。
小山は、ぼんやりと頭の隅で思考していた。
主人公は誰だろうか、と。
映画や小説などではこういった状況は多い。
そして最後まで生き残るのは主人公の特権だろう。
柳洞一成だろうか、何しろ顔が良い。
そう、顔というのは重要な要素だろう。
『美形は死なない』
そう言っていたのは誰だったか。
自分のお世辞にも美形とは言えない顔を撫でる。
―――――これじゃあ、無理だな。
ヒロインは?
遠坂凛、美綴綾子、あの間桐桜も中々の美人だった。
生き残る奴がヒロインという所だろうか、あの中では甲乙つけがたい。

なるほど、わかった。
主要キャラはもう充分埋まっている。
じゃあ、俺は?

簡単に死ぬ、脇キャラか?
それとも目立たず隅にいて、数合わせに生き残る……そんな感じか?

どっちにしろ、くだらないことだ。
小山は、歯を噛み締めた。
くだらない、くだらない、くだらない。
こんな異常事態の中で美形でもなく、飛びぬけた能力もない俺は何の為にいるんだ?
あの、バケモノの餌にされるためにいるのか?
小山は、校庭で見た蟲の姿を思い出す。
歯が、かちかちと無意識に鳴りそうになって慌てて噛み締める。

後から話しかけてくる声に適当に相槌を打ちながら考える。

俺は、死にたくない。
目立たなくても良い、主人公じゃなくたって良い。
それよりも生き残るのだ。

コツコツと階段を上がる。

小山は、坊主頭を掻いた。
家には両親と犬が一匹俺の帰りを待っている。

夕日が沈みかけていて、少しずつ辺りは薄暗くなる。

小山は思う、強く思う。
家に帰りたい。
たくさん飯を食い。
ベッドでゆっくりと眠りたい。

階段の踊り場に足を踏み出す、あと少しで目的の階に到着する。

そうだ、―――――俺は生き残る。

その時横から飛び出してきた影にぶつかり、小山の体がぐらりと倒れた。

顔には何の表情も浮かべておらず、先程まで考えていた思考の意味は無く。

側頭部に、深々とナイフが突き刺さっていた。

「うふふ」
階段の踊り場の影に潜んでいた少女は薄く笑った。
固まる由紀香と蒔寺を無視して、ナイフを小山の側頭部から引き抜く。
「人生は儚いものですね、なむなむ」
少女は二人に目をやり、微笑んだ。
「私に殺されるのは、道端で車に轢かれるのより可能性が低いですね。ある意味チョーラッキーです」
二人は何も言えず、ただ彼女の微笑みを見ていた。
「うふふ、敵は外側だけじゃないんだぜ! って感じですね。この人が」
小山の死体を見下ろす。
「どんな思考をして、どんな思想を抱いていたかは知りませんがまあ不幸だったという事です」
蒔寺が、由紀香を後に下がるように促した。
「あらあらあら、逃げちゃうんですか、逃げるんですか。心配しなくても貴方達は殺しません。私は殺人大好き! って感じのイカレたキャラしてないんで」
血がべったりと付いたナイフを、小山の制服で丁寧に拭う。
「猟奇的ですね、キャーって感じです」
ナイフのブレード部分をしまい、後ずさる二人に目を向ける。
「貴方達には私が何故このような行為をしているのか、まったくもって分からないでしょうが、一応の意味はあるのです。そう、私の人生を賭けても良い位の意味が。でもそれを一々貴方達に語って聞かせる程、私は酔狂じゃありません。貴方達も聞きたくないでしょう」
ぴっと、指を立てる。
「聞きたい事は一つだけ、知りたい事は沢山あります。ベラベラ喋る女は嫌われるぜ! って感じかもしれませんが、まあここは一つ私に教えて頂けませんでしょうか」
「何だよ……」
蒔寺が呟く、その声を拾い少女は笑った。

「衛宮士郎という男性をご存知でしょうか」



「あぎっああああ」
美作は体を掻いていた。
痒い、全身が痒くて堪らない。
ぼりぼり、両手で体を掻く。
「お、おい」
隣にいた柳洞一成が心配そうに声をかける。
「大丈夫か!」
「ふぐっああぐううたああ」
ぼりぼりぼり、皮膚が捲れるまで掻く。
痒い、痒い、痒い。
体の内側で何かがうねっている。
もぞもぞと、ぞわぞわと体の中で『何か』が暴れる。
皮膚が服の内側でぼこり、と盛り上がった。
ざわざわざわざわ、耳元で何かが走る音がする。
「美作、おい! しっかりしろ!」
体を蹲らせる美作は、それでも体を掻くのをやめない。
服を破って、直に皮膚に爪を立てる。
「ひぎぶああぶあああへべべええ」
口から漏れるのは、意味の無い呻き声だ。
それにしても、こいつ。
体を揺すっている一成を、美作は睨む。
『しっかりしろ』だと、この感覚を味わっていないからそんな事が言えるんだ。
この感覚を味わっていないからそんな綺麗な面で俺を心配できるんだ。
「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」
呻き声から、羽音のような音に変化する。
一成は凛たちに叫び声を上げた、様子が変だ! どうすればいい。
どうすればいいだと? 様子が変だ、だと?
この俺の何処が変だと言うんだ?
掻き毟っていた皮膚が剥がれ、そこから蛆虫がぼとり、ぼとり、と落ちる。
急激な痛み、そうだ今の俺はオカシイ。
こんな、体の中からこんな。
ぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼた。
オカシイ? これがオカシイのか?

だって、俺は――――――――――

「ぶべあああああばばばっばばば―――――あばっ」

――――――――――蟲だと言うのに。

美作の体が切り裂いて、蝿の腕が飛び出してきた。
その鋭い、腕は美作明を介抱していた、柳洞一成の脇腹を切り裂いた。
「ぐっ…………お」
一成は苦痛に顔をゆがめる。
いい様だ、いい様だ。
テメエは前から気に入らなかったんだよ。顔が良くて頭が良くて女は皆お前の噂をしてやがる。どうせ俺みたいな奴をお前は見下していたんだろう、この俺を道端の石コロ程度にも捉えていなかったに違いない。
クソが、柳洞一成。テメエは今、この状況においてテメエはクソだ。いや、クソ以下だ。
美作明は、立ち上がり柳洞一成を見下ろした。
無様だな、無様だな、無様だな。
かっこわるいぜ、ええ?

美作明は腹を鳴らした。
目の前に血が滴るステーキがあるので当然といえば、当然か。
体を突き破って生えている、六本の蝿の腕を持ち上げた。
「ミンチにして食ってやるよ!!」
一成に蝿の腕が振り下ろされる前に、美作の眼前を灼熱が襲った。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
眼前にいた柳洞一成の姿は既に無く、見えるのは一成を抱えて走る綾子と腕から血を噴き出させている凛。
「くっ……、駄目だったか!」
「テメエ、遠坂っあああああああああああああああああ!!」
ぶすぶすと顔から煙があがる。
美作は怒声を上げた。
「殺してやる! 殺した後犯して、犯した後殺してやる!」
「もう、頭もボロボロなのね」
哀れむような視線をちらりと向けて、凛も綾子を追って走った。
「待て!」
追おうとして、美作はべしゃりと転んだ。
また起き上がり、べしゃりと転ぶ。
「くそっ、歩きにくい!!」
体を引き摺るようににして前進する。
凛達はもう視界には見えなかった。



「遠坂、やばい! この出血はやばい!」
近場の教室に駆け込んだ、三人は柳洞一成の怪我を見ていた。
「取り合えず、制服を当てて止血しましょう!」
「ああ!」
綾子は自分の上着を脱ぐと、傷口に押し当てた。
「柳洞君! 意識はある!? しっかりしなさい!!」
一成は、頷いた。
「大丈夫、だ」
綾子に制服の礼を言い、自分の手で傷を抑えはじめる。
両手が自由になった綾子は手早く止血をし始めた。
「あれは、何なんだ。何故、美作が」
「こっちが聞きたいわ」
凛が血だらけの腕を摩った。
無理矢理、魔術回路を再度起動させた所為で、腕の毛細血管が破裂したのだ。
(宝石の数も、残り二個。それ以前に私の体は後二回も無理が聞くか?)
この血だらけの腕は『これ以上は危険だ』という警告であろう。
無視すればどうなるかなど、考えたくもない。
「柳洞君と綾子は此処に居て」
「遠坂は?」
心配そうに聞く、綾子に凛は微笑んだ。
「あいつをぶっ飛ばしてくるわ」
どちらにしろ、一成は動かせない。
士郎達の支援もあまり期待できない。
ここで最高戦力なのは遠坂凛だ。
血塗れの腕をさする。
いける、できる、やってやる。
この程度の危機、聖杯戦争に比べれば何てことは無い。
「良い? ここで息を潜めてなさい。声とか立てちゃ駄目よ」
凛はポケットの中の宝石を握りしめた。
「二十分たっても私が帰ってこなかったら、柳洞君には悪いけど無理してでも士郎達と合流して」
凛は身を翻した。
綾子は思う。
友人だと思っていた少女は、実は多くの秘密を抱えている。
正直、今だって何が何だがわからない。
彼女が何故、あんなものに立ち向かわなければならないのか。
何故、人間がバケモノに変わってしまうのか。
わからない、わからないが。

夕日が落ち夜になろうという時刻。
一人で恐怖に立ち向かう細い肩。
そこに、――――――――――奇跡を見た。
「遠坂」
綾子の声で、凛は止まる。
血濡れの手、差し込む夕日、どんな非日常も遠坂凛には彼女を際立たせる添え物だ。
「……帰ったら、さ。一緒に買い物でもいかないか? 良い喫茶店も見つけたんだ。多分、遠坂も気に入ると思う」
凛が顔だけ振り向かせ微かに笑った。
「良いわよ。綾子、……あなたの奢りでね」
何時も通りの笑顔を浮かべ、何時も通りの気概で。
遠坂凛はくじけない。
彼女の英霊が剣なら、彼女は欠ける事なく輝く美しい宝石だ。
「……ああ、わかった」
一つ、小さな約束をした。
日常の中で交わされるような些細な約束だが、それはこの状況だからこそ大切な物になる。
「……遠坂」
一成が、凛に声をかける。
「死んだら、許さんぞ」
凛は戸を開け放った。
「それはこっちの台詞よ、柳洞君。助けてあげるから、生きてみせなさい」
凛は飛び出していった。
「ふん」
一成の呟きは、凛に届くことは無かったが綾子は聞いた。
「そんな、お前だから衛宮はお前に惚れたのだろうよ」
足音が、遠ざかる。



魔術師はかつて、強大な敵と戦っていた時代がある

凛は、廊下を力強く歩む。

魔術師の本質は探究者。戦闘者では無いそう言う者もいるだろう。
いや、それこそ現代の魔術の本質なのだが。
――――――――――だが、それでも遥か昔。
魔術師は自分よりも強大な敵と戦っていた筈だ。
魔術回路は何故、人間にあるのか。
その疑問を抱いた事が無い筈が無い。
人間の器官とは使わなければ少しずつ退化していく。
そう、人間は使われなくなった器官を邪魔なモノとしてヒトから削ぎ落としていく。
人間に必要の無い器官が生まれるはずもなかった。
ならば何故、魔術回路などという器官が人間に存在するのか。
それは、それが『必要』だったからに他ならない。
種が生き残る為、目のように手のように足のように、必要だから在ったのだ。
滾る血は、熱を持ち動かぬ魔術回路を焼く。
嘗ての魔術師は何と戦っていたのか。
そんな、事はわからない。
だが――――――――――

「見つけたぜ、遠坂ァ……」
皮膚が剥がれ落ち、所々黒々とした光沢を見せている。
美作は、唯一何も変わってない顔で笑った。
「逃げなかったのか、ん?」
その姿は、正に異形。
凛は、恐れを知っている。
自分は死なないなどという自惚れは持っていない。
死ぬような状況で、失敗をすれば超人だって死ぬ。
それだけだ。
自分だけは違うなどという奢りは無い。
凛は自分を知っている。
「―――――は」
笑みが漏れた。
武器は無く、魔術は使えず、頼るべき味方もいない。
なんとも絶望的だ。
だが、これが普通。
魔術が使えぬからといって、自身の矜持を捨て去る筈も無く。
凛は美作に向って中指を立てた。
「冗談じゃないわよ」
そう、逃げるだと? 誰がだ? この遠坂凛が、か?
笑わせるな、笑わせるなよ。
力があるから助けるんじゃない。そう、士郎が言った通りだ。
自分が強いから、助けるんじゃない。
自分が強いから、立ち向かうんじゃない。
思えば、過去初めて魔術回路を持った人間は何を思っただろうか。
過ぎたる己の力を恐れただろうか。
それとも周囲から迫害され、持った力を恨んだだろうか。

――――――――――そんな筈は無い。

魔術回路が必要だったから、その人の体にはそれが生まれたのだ。
救えなかったものを救えるようにする為に。
唯の人を止めて、英雄になる決意をした。
そう、私も知っている。
唯の人を止めて、英雄になった男の背中を。
遠坂凛は、誰よりも知っていた。
だから、と遠坂凛は思う。
震えている訳にはいかない。
怪我をしている友人を放っておけない。
自分の役目では無いだろう。
これは本来士郎の役目だろう。
遠坂凛は正義の味方じゃない。
損も得も考える。

美作の蝿の腕が振るわれる。
凛は、転がるようにしてそれを避けた。

だが、感謝すべきだ、この状況に。
この状況、この事態が何を狙ったものかは知らない。
凛や士郎を殺したいと思った、……『誰か』の仕業かもしれないし。それ以外の何かかもしれない。
だが、助けることができる。
巻き込まれた人間を、殺すことも死ぬ事も覚悟している魔術師の私が、だ!
私の所為で巻き込まれたのかもしれない、私の所為で死なせてしまうのかもしれない。
それでも、それでもっ―――――!!
守りきってやる、一切合財、全て遠坂凛が何もかも踏み潰してやる。
苦難も不幸も死すら、遠坂凛の道を邪魔するなら全部、地面に伏せさせやるっ!!
「これが私のやり方なのよっ!! 逃げるなんて冗談じゃない! 震えているなんて無様な真似はしてやるもんか!」
「だったら死ねよォ!!」
高速で振るわれる六本の蝿の腕は、凛を引き裂かんと迫る。
前後左右、逃げ道は無い。
ならば、前へ! 一心不乱に思う。
背中に背負うものは数々の思いだ。
虫程度にくれてやる程、安くは無い。
凛の腕は、足は、体は蝿の足にずたずたに引き裂かれる。
「あああああああああああっ!!!」

――――――――――そう、嘗ての魔術が何と戦っていたか。
そんな事は分からない。知る必要もないことだろう。
だが、魔術とは。初めて生み出された魔術とは。
もっとも原初の輝きにして、最強。
人が憧れ、獣にも打ち勝つ力。

思い描けば、魔術は生まれ。
思い描く事から、魔術は始まる。

凛の魔術回路が浮き上がる。
本来不可能を可能にするのが、魔法なら。
遠坂凛は、この時、この瞬間のみは魔法使いであった。

美作の開いた口に拳を突き入れる。
「私は、後悔する。あんたを救えなかった事に、あんたを殺してしまう事に」
これは、人殺しだ。
美作明は、もう違う存在になっていたのかもしれないが。
それでも彼女は言う。
「でも、謝らない。殺してしまう事を謝らない」
美作がその変質した牙で凛の腕を噛み千切ろうとする。
「だから、アンタは私を恨みなさい!!」
凛の腕と、美作明の頭が、業火を噴き出し破裂した。

そう、最強にして原初の魔術。
その名は、火である。

凛は、振るわれた蝿の腕をくらい、壁に叩きつけられる。
「あおあああばうあばばあああ」
轟々と燃え盛る、美作の体。
頭を失っても、動けるのは虫故か。
美作は最後の悪足掻きとばかりに、凛に蝿の腕を振り上げた。
あれが振り下ろされれば、凛は死ぬだろう。
「負ける、もんか」
敗北はゆるさない。遠坂凛に敗北は赦さない。
破裂した腕から血が噴き出す、ぼろぼろの指には感覚すらない。
「負けるもんか!!!」
あの赤い背中を知っていた。

「遠坂っ!!」
その声は赤い騎士似ていて、凛はどうしようもなく泣きたくなった。
でも、彼をこちらに来させてはいけなかった。
衛宮士郎に人殺しをさせる訳にはいかなかった。
「駄目よ、士郎!!」



走る体に熱が宿り、どうしようもなく叫びだしたくなる。
役立たずの魔術回路。
役立たずの自分。
「おい、衛宮っ!!」
後で士郎を止める声が聞こえた。
だが、それは関係ない。
燃え盛る、蟲が眼前に迫る。
あんな事ができるのは一人しかいない。
そして、その一人を自分は守ると誓ったのではなかったのか。
手から滑り落ちるものがあった。
それは本当にどうしようもなくて、本当に悔しくて。
それでも諦めないと誓った。滑り落ちるものがあるのなら、自分は受け止めて見せようと。
決めたのだ。決めたのに。
何一つ守れていない。
きっとまだ、この校舎に震えている人は沢山いるだろう。
苦しんでいる人は沢山いるだろう。
衛宮士郎が正義の味方ならそれを助けなければならないのに。
魔術回路が使え無ければ、何も出来ないのか。
そんな訳がない、山岸は唯の人だ。
怖くても、何も自分を守る手段を持っていなくても、皆を纏めてなんとかしようとしている一成だって唯の人だ。
腕が熱を持つ、背筋に焼けた鉄棒を突っ込まれる感覚。

―――――魔術回路の起動が無理なら作り出せばよい。

何度も繰り返した動作だ。今更、躊躇うはずも無い。
たった一本だけ、魔術回路が生成される。
だが、これで良い。これで十分。
これで衛宮士郎は剣の丘を駆け上がれる。
選んでいる暇などない、衛宮士郎の頭の中に最も焼きついた剣を投影しろ。
無理だとは言わせない、―――――元よりこの身は、それのみに特化した魔術回路。
軋む頭も、痛む腕も、熱い体も何もかも衛宮士郎の邪魔はできない。
生み出されたのは、一振りの剣。
名前もなく、中途半端に投影された名も無い出来損ないの鋼。
士郎はそれを掴んだ。
「遠坂っ!!」
叫ぶと同時に飛び、剣を振り上げた。
凛の叫び声が聞こえる。
しかし、止める事はできない。その気も無い。
放っておけば死ぬのは凛だ。
士郎は歯を食いしばり、鋼剣を振り下ろした。
鋼は、蟲を真っ二つに切り裂いた。
吹き出る赤い血は、衛宮士郎を濡らした。
「あ?」
赤い、血?
倒れた死体を見る。
所々破けているが、その死体は制服を着ていた。
汗が吹き出てくる。
この制服を知っている。
気持ち悪いと、言っていた少年を覚えている。
……こいつは美作明ではないのか。

―――――『正義の味方』衛宮士郎は、美作明を殺した。

「はっ……はっ…あ」
吹き出たのは、赤い血。
自分にこびり付いた赤い、血。
「士郎……」
「遠坂、化物の血も赤いのか……」
「良いの、士郎。貴方は何も考えなくても良いの」
「俺、あいつを殺したのか」
「違うわ、殺したのは私よ」
凛は血だらけの腕で士郎を抱きしめた。
「遠坂、俺は救えなかった。それどころか俺は……っ!!」
こいつを殺してしまった、と。
士郎は叫んだ。
「何でだ! 何でもっと巧くいかないんだ! 何時も、何時も、俺は! 何をしようにも何時も!」
凛は抱きしめる腕に力を込める。
「切嗣がいつも言ってた、大人になれば成るほど出来ない事が増えるって、正義の味方は遠ざかるって! 俺は、俺は何時も思ってた! 今は無理でも大人になればもっと多くの人を救えるんじゃないかって! ずっと子供の頭で考えていた! あの日の、あの時だって―――――」
衛宮士郎の総ての始まり。
炎の夜。
死人ばかりの荒野で少年は生きていた。

あの時、自分にもっと力があれば。

一人でも多くの人を救えたのではないだろうか。
今でも、あの赤い騎士を追うと決めた今でも、あの時見捨てた人たちの事を夢に見る。

あの時、自分がもっと大人だったなら。

一人でも多くの人を救えたのではないだろうか。

正義の味方を張り続ける。
そう決めた。
だが、それは残酷になるという事では無く。
以前より、ひたすらに正義を追い続けるということで。
「俺は……俺は、何でもっと」
赤い騎士は、残酷なまでに理想の道を駆けた。
一を捨て、九を救った。
それは間違っている。
正義の味方を名乗るなら、その一すら取り零してはならない。
士郎の目から涙が流れる。
なのに、俺は。
その一を自分の手で殺してしまった。

「そんなに悲しむんだったら、やっぱり貴方はあの時に死ぬべきだったんです」

その声に、凛は顔を上げた。
士郎達が来た方向と、反対側の廊下に三人の少女が立っていた。
二人は、蒔寺楓と三枝由紀香。
そして、もう一人の少女は顔も見たことが無い少女だ。
手に凶器であるナイフを持っている。
「貴方はやっぱり死ぬべきです、衛宮さん」
再度繰り返し、少女は歩き出した。
「一人で、悲しんで。自分に酔って楽しいですかそういうの。気持ち悪い……! って感じですね。どんな状況にあったて貴方は今の化物を殺した筈でしょう。だって恋人の命が懸かっていたのだから」
ぺた、ぺたと少女は歩く。
「自分に沈んで、自分勝手な考えに沈んで、勝手に泣いて」
そこで、少女は言葉を切った。

「…………泣きたいのはこっちだっていうんだよッ!!!」

腕をガラスに叩きつけて、窓ガラスを割った。
腕が傷つき、血が流れる。
荒い息を吐きながら、少女は言う。
「貴方は最悪です。どうしようもない最悪。おぞましい、あの地獄から助けられて……唯一人助けられて……っ。貴方は目標を持って、煌びやかに生きているらしいじゃないですか、あの火災で死んだ人間を忘れたんですか。貴方が見捨てた人間を忘れたんですか。貴方に手を伸ばした人間を忘れたんですか。なんて、最悪。貴方は理想なんて抱いちゃいけなかった。貴方は恋人なんて作っちゃいけなかった。貴方は一人ぼっちで唯一人あの地獄から生き残った貴方は、一人ぼっちで誰も助けられなかった事を悔やみながら死ぬべきだったんですよぉっ!!」
凛は血だらけの体を無理矢理立ち上げた。
「貴方は、何」
少女はきょとん、として吹き出した。
「あは、ははははは、『誰』では無くて『何』ですか! 面白い、面白いなあ遠坂凛さん! 流石、そんな厚顔無恥な男の恋人だ! いいでしょう教えてあげますよ、私は」
そこにいる男に家族を殺された人間だ、と少女は叫んだ。
「正確には違うかもしれませんね、私の家族はあの大火災で亡くなったんです」
「だったら、士郎を恨むのはお門違いでしょ!」
「良く、そんな事がいえますね。そんな下らないそんな有り触れた台詞が吐けたものだ遠坂凛さん! 私の絶望を知らないでしょう! テレビで、生き残った人間が一人だけと見た私の気持ちが分かりますか! その一人を自分の家族だと信じて待っていた私の気持ちが分かりますか! それからの人生、その男が座った『生き残り』の席に私がどんな気持ちを抱いていたのか分かりますか! 学校だってアンタがいるから追いかけてきたんだよ衛宮士郎さん! 何時だってアンタを殺せる瞬間は無いかって、鞄の中にはナイフを忍ばせていたんだよ、衛宮士郎さん!」
呆然とする凛に、少女は微笑みかけた。
「うふふ、私は実にラッキーです。こんなチャンスが巡ってきたのですから」
日が落ちて暗くなった廊下、少女はそこの支配者の様に両手を広げた。
「お陰で、六人もの男の人で『練習』しちゃいましたよ。逸る気持ちはあったんですけど、それを押さえてね。完璧に、完璧にアンタを殺すために六人もこのナイフで殺しちゃいましたよ」
「君は」
士郎は立ち上がった。
「俺が憎いのか」
「ええ、殺したくてたまりません」
士郎は顔を手で拭った。
「でも、俺は殺されてやる訳にはいかない」
士郎は苦渋の表情を浮かべた。
エミヤが衛宮士郎に彼の未来を突きつけたのなら。
彼女は衛宮士郎に彼の過去を突きつけてくる。
本当は、謝って。赦して欲しかった。
贖罪としてこの身を差し出すのは簡単だった。
でも、それでも。
「俺は、死ねない」
多くの約束。貫き通すと決めた理想。
その為にも衛宮士郎は死ぬ訳にはいかなかった。
総ての罪に頭を下げて。
衛宮士郎は、死ねないと言った。
「知らない」
少女は首を振る。
「貴方の都合なんて、知らない。もう貴方は我侭なんて言える立場じゃないんです」
懺悔しろ、罪を贖えと。
「私の理屈は滅茶苦茶ですね。自分でも分かりますよ。でもね、衛宮さん、私にはもう『これだけ』なんですよ『これだけ』しかもう残ってないんです。それに貴方を殺さなければ私は新しい毎日なんて始められない。新しい一歩なんて踏み出せない」
ナイフを衛宮士郎に突きつける。
「殺されるのが嫌だったら、私を殺せ。偽善者」

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス
蟲の檻。(4) 十三式大回転/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる