十三式大回転

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zoom RSS 蟲の檻。(5)

<<   作成日時 : 2006/03/04 22:27   >>

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――――――――――少女、高宮沙紀には未来なんて無い。

「いってらっしゃい」
それが最後だった、高宮沙紀として言った言葉の最後。
両親は祖父の家に、出かけていった。
風邪気味だった私は、家に残り両親を送り出した。
母が、暖かくして寝るのよ、と言い。
父が、夜中になるけど帰ってくるから、と言った。
今でも覚えている、その言葉、その表情。
私は、熱で朦朧とした頭で頷いた。

そして、両親との別離の言葉を呟く。

―――――いってらっしゃい。

今思えば、風邪なんて無視してでも付いて行くべきだった。
今思えば、我侭を言って、日にちをずらしてもらえば良かった。
今となっては、総てが無駄だ。

深夜のニュース。
熱がある所為で寝苦しくて、見たテレビ。
そこに、絶望があった。
『生存は絶望的』
『前代未聞の大火災』
『地区一帯が焼け野原』
嘘だと思った。
『暖かくして寝るのよ』
『夜中になるけど帰ってくるから』
嘘、だと、思った。
そこから先の記憶は曖昧だ。
裸足のままで部屋を飛び出した。
点けっぱなしのテレビが、私の背中に声を掛けた。
『生存者がいました!』
聞こえた声は、私の希望となって背中を押した。

走った。
新都まで、裸足で走った。
本当だったら電車に乗る距離を裸足で走った。

目から涙が溢れて、視界を滲ませた。
だらしなく開いた口からは、荒い呼吸が漏れる。

そう、生きているのは私の両親の筈だ。
『暖かくして寝るのよ』
『夜中になるけど帰ってくるから』
だって、帰ってくるって言った。
お父さんが、帰ってくるって言ってた。
お母さんが、私に暖かくして寝てねと言ってた。
ずっと、これからも崩れない筈の私達の暖かい家庭。
優しい父、優しい母。
何気ない、空気のような夢の世界。
崩れる筈が無いと思った。
空気が無くなる訳が無いと。
必死に必死に必死に。
頭の中で唱え続けた。
足の裏がズタズタになって。
呼吸は、不規則にひきつって。
やっと私は、新都に辿りついた。

そこは、地獄だった。
消防や、警察。
大声を張り上げる人や、私の様に家族を探しに来たのか警官と問答をしている人が居た。
父の名を呼び、母の名を呼び、息子の名を呼び、娘の名を呼び、祖父の名を呼び、祖母の名を呼び、友人の名を呼び、恋人の名前を呼ぶ。
誰もが怒っていた。
誰もが泣いていた。
誰もが信じていた。
こんな地獄の中でも生き残ったのは自分の大切な人だと。
誰もが確信も根拠も無く思っていた。
幼かった私も、思っていた。
生きているのは私の両親だと。
なのに、じっとしていられなかった。
誰もが、誰もが、この世に神様なんていないって事を知っていたからだ。
焼け落ちた、総て。
そこから現れたのは、一人の男だった。
草臥れた、コートを着てぼさぼさの頭をした。一人の男だった。
その手の中には、一人の少年がいた。
彼は消防の人間と二三口を聞き、少年を救急車へと運んだ。
もう既に話は通っていたのだろう。
走り始める救急車。
誰もが叫び声を上げた。
一向に出てこない、他の生き残り。
「うそ、だ」
そんな訳が無かった。
生き残ったのが、あんな子供一人の訳が無かった。
私は、真っ黒な世界に向って走り始めた。
「嘘だ! 嘘だ!」
小柄な私の体は、静止しようとする警官の腕をすり抜けると、災害地に飛び込んでいった。
「お母さん!!!! お父さん!!!」
走った。
足の裏が熱で焼け、酷く痛んだ。
後から追いかけてきた、警官に取り押さえられても私は叫んだ。
「嘘! 嘘! 嘘だぁ!!! 帰ってくるって言った! 帰ってくるて言った!」
滅茶苦茶に暴れた。あそこの瓦礫の下に、何処かの瓦礫の下で。
きっと、父と母は私の助けを待っているに違いなかった。
「もう二度と会えないなんて、嘘だぁ!!!」

『暖かくして寝るのよ』
『夜中になるけど帰ってくるから』

そうして、私の空気は。
私の家族は、高宮沙紀の目の前から永遠に消えた。

私はその後、病院で目を覚ました。
熱と、疲労であの場で気を失ってしまったらしい。
私の体調の話をする医師に、私は聞いた。
「大人の人は、誰か助かったんですか」
医師は、口を噤んで黙って首を横に振った。
私は黙って、そうですかと呟いた。
胸に穴が開いたようだった。
医師が、君の後継人に警察官の人が名乗りを上げている、と言った。
私は親戚の何処にも引き取られなかった。
人、一人を育てるのにはお金がかかる。
そんな、事は幼い私には分からなかったけど。
誰にも期待なんてしてなかったけど。
「うぇ……ひっ……あ」
辛かった。
もう、私の場所は何処にも無いって知った時。
凄く辛かった。
涙が流れた。
医師は、何時の間にか出て行って。
私を押さえつけていた警察官の人が入ってきていた。
「すまない」
抱きしめられた。
「すまない……」
謝った。
助けられずにすまないと。
誰かを助ける為に警察官になった男は。
すまない、と。
家族を失って泣く少女に謝り続けた。

警官は、牧村浩二と名乗った。
煙草が好きな、何処にでもいるような中年の男だった。
彼に、引き取られた私は。
高宮沙紀は、そこで死に。
牧村沙紀に、変わった。
本当は、高宮の性を捨てたくなかった。
でも、生きる為には仕方がなかった。
成人したら、性を戻そうと一人で決心していた。
引き取られた家は暖かく、どうしようもなく私を傷つけた。
この幸せは、この暖かさはどうしても私に自分の家族を思い起こさせた。
何時も、一人で。多くの義理の兄弟達の中で何時も一人で身を固めていた。
心を固めていた。
その頃から、意識的に言葉遣いを敬語に代えた。
高宮沙紀は死んだのだから、牧村沙紀は他のモノにならなければならない。
そんな、考えからだった。

家に長くいる事はせず。
今や、別の人が使っている家に何度も行った。
取り替えそうと、思ったのだ。
あの思い出の家を。
きっと、諦めが悪かったのだと思う。
帰れば、帰る場所を用意すれば。
二人は帰ってきてくれるような気がした。
太い木の棒で窓を割って、家の中に入った。
中にいる人に散々叫ばれ、男の人に殴られた。
私も、木の棒で殴り返した。
「ここは、私の家だ! 出て行け! 出て行けぇ!!」
落ち着いているように見えて、落ち着いていない。
納得しているように見えて、納得していなかった。
男の人が憤怒の叫びを上げ、私を思いっきり殴りつけようとした。
思わず体が竦み、目を瞑った。
結局、衝撃はこなかった。
「ごめんなさい」
一人の少年が、その拳を受けていた。
流れる鼻血を拭わずに、少年は謝った。
それは、あの警官の謝罪に似ていた。
「ごめんなさい」
謝って、それでも私を背中に庇った。
「この子、僕の妹なんです」
理由にもなってなかった。
少年は唯、頭を下げた。
「ごめんなさい」
男の人は、警察を呼べと言い。
結局、私達はその日二人で、浩二さんに叱られた。
少年……徹は。
何も言わず、唯黙っていた。
何故、この兄弟の中でも一番下で一番自分と話していなかった少年が、私を追いかけてきたのかは知らない。
何故、私を庇ったのかは知らない。
結局、彼は沙紀にも浩二にも他の兄弟達にも何も言わなかった。

それから、数年がたち。
相変わらずの生活が続いた。
私は生き残りの、あのコートの男を調べた。
理由が欲しかった。
父と母が死んだ理由。
あの男なら、災害地の中から少年を救った男なら知っていると思った。
でも彼は死んでいた。
代わりにあの少年は生きていた。
何の、痛痒も無いように。
姉のような人と笑っていた。

その時、私は決意したのだと思う。
何かが、頭の底でストンと落ちた。
私はこの数年間。誇張もなく笑ったことがなかった。

なのに、なんでお前はそんな楽しそうに笑えるのか。

そこで、笑っているのはお前なんかじゃなく。
私のお父さんとお母さんじゃなかったのか。
お前が座った、生き残りの席に座るべきだったのは。
無価値な、総て忘れて笑っていられるようなお前では無く。
私の父と母ではないのか。

―――――こいつを殺そう。

素直に、そう思った。



慎二は肩を竦めた。
「なあ、桜。お前気付いてるかい?」
桜はただ、苦しそうに呼吸をするだけだ。
目だけが慎二を見ている。
慎二は桜に話し掛けながら、目は桜の方を向いていなかった。
何故か慎二の目は天井に向けられている。
「お前、もう死ぬよ」
きゃり、と慎二は爪を擦り合わせる。
桜は何も言わない。
「お前さ、まだ心臓にジジイの蟲がいるんだよ」
慎二も天井から目線を外さなかった。
「あれは、群体だからさもう数が少なくなって明確な意思は残ってないんだよ。でも、ボクがアレ造ったからさ、桜の心臓の蟲が同種と勘違いして動き出しているんだよね」
自分が生きる為に、と慎二は言った。
「……ボクはね、桜。お前の事が結構好きだったよ。バカで屑なお前が好きだったよ」
慎二は天井から視線を外して、桜を見た。
「だから、責任を取ってボクが桜を―――――殺してやるよ」
慎二の表情は慈愛で満ちていた。
「なあ、桜」
慎二は言いながら、未だ桜に覆いかぶさっていた氷室鐘の死体を乱暴に除けた。
「お前、気付いているんだろう」
桜は小さく頷いた。
「馬鹿だなあ、お前」
慎二は優しく桜の顔を両手で撫でた。
髪、目、鼻、唇。手が滑って行き、首に到達する。
「お前だけは、最後までボクに従順だな」
慎二は、自分の唇を桜の唇に押し付けた。
首を絞める。
慎二は、顔を離して桜の顔を見る。
土気色だった顔色は、今では恐ろしいまでに白かった。
「お前、生かしてやろうと思ってたんだけどなぁ……」
どこで、変になったのかなぁ、と慎二は唸る。
どんどんと血の気を失っていく、桜の顔。
口元で小さく言葉を呟いた。
「ん……?」
慎二は顔を寄せる。
せ。
唇だけが、言葉を紡いだ。
ん。
慎二の顔が歪む。
ぱ。
呟かれる言葉と反比例して、慎二の首を絞める力は“弱まって”いく。
い。
そして、手を離した。
「なんだよ…………」
咳き込む桜の様子を見ようともせずに、慎二は震えていた。
「お前もなのかよ、桜。酷い裏切りだ、お前だけは信じていたのに」
桜は、咳き込みながら横たわっていた体を持ち上げた。
「にいさ……」
「うるさいッ!!!!」
慎二は桜を殴りつけた。
頭を掻きむしる。
「なんだよ! 結局お前もそうなのか、そうやってボクを裏切るのか!」
慎二は血走った眼で桜を睨んだ。
「お前、もういらない」
慎二は桜を残して、歩き出した。
「待って、兄さん……」
慎二は桜の言葉を遮って言う。
「お前もう、駄目だな。ボクはね桜、お前が好きだったから、犬みたいで従順で馬鹿でクズなお前が好きだったから『綺麗』なままで殺してやろうと思ったのに」
戸に手を掛ける。
「桜、お前も汚らしい蟲になるんだよ。分かるか桜。お前の体からは蟲は生まれない、お前の体は蟲を産める程清純じゃない。母体としては最低だ。だけどな、桜。お前の中の蟲は活動を止めない」
―――――生きるために。
生きる為に蟲はもがく。
「お前は汚らしい蟲になって、どうしようもなく腐って、最後は一人ぼっちで死ぬんだよ」
慎二は言葉を切った。
「あと、もう『兄さん』って呼ぶな」
慎二は出て行った。
桜は一人取り残される。
残ったのは、蟲になりかけの間桐桜と。
氷室鐘の死骸だった。
桜は胸を押さえる。
何故か、痛みは消えていた。
「あ―――――」
凄く大事なものを失ったような気がした。
美しい姉。彼女は最後まで振り返ることが無かった。
好きな先輩。彼は桜の好意に気付く事無く、姉と一緒になってしまった。
私を犯した兄。彼すら私を置き去りにして行ってしまった。

―――――お前、もういらない。

言葉が蘇る。
何度も聞かされ見せ付けられた、その言葉。
実の父親から、他の家に売り渡された時。
恋していた先輩が、姉と付き合っていると知った時。
そして、今。
間桐桜は、間桐桜を構成していた殆どのモノを失ってしまった。
どうしようもなく可笑しかった。
どうしようもなく悲しかった。
「ああ―――――なんだ」
そう、これは自分が犯した罪の罰が降りかかって来たに過ぎない。
「なんだ―――――」
桜は氷室の死骸を見た。
「だったら、もういいですよね」
無理しなくても、別に。
先輩にも、姉さんにも、気兼ねする事はない。
もう、間桐桜はどうなったって良いんだ。
桜は死骸の腕を持ち上げた。
まだ、ほんのりと暖かい指を口に含む。
ああ、何て甘美な蜜の味。
躊躇う事無く、桜はその指を噛み砕いた。
「ん……あっ……」
嚥下していく。飲み込まれていく氷室鐘の指。
「おいしい」
間桐桜の肌の色は、今や土気色でも白くも無く。
艶かしいまでの、朱に染まっていた。



慎二は廊下を歩く、こつこつと階段を上っていく。
「もう、良いか」
慎二は天井を見上げた。
「もう、良いよな」
腕が淡く光る。
「もう、殺しちゃえ」
その旋律は―――――



―――――山岸薫に響いた。

「ぐっ……あ?」
山岸は、膝を折った。
牧村はもう隣にはいない。
あの喚く少女に向って走っている。
「痛っ……」
あの化物に噛まれた腕が熱い。
腕を見た。
「な……?」
山岸の腕は最早、人間のそれではなかった。
膨張し、うねり、腕に無数の口がある。
指一本一本が、殺した化物を縮小したような異形に変化している。
山岸は悟った。
(噛まれた、所為か……!)
何故、今になって急にこうなったかは分からない。
前兆など無かった。
山岸は声を上げようと、するが声がでない。
誰もこちらを見ていなかった。
皆、士郎と沙紀の方を見ている。
(気づけ!!)
牧村の体が、意思とは反して前に進んだ。
向う先は、衛宮士郎でもなく。
遠坂凛でもなく。
牧村徹でもなく。
当然に、牧村沙紀でもなかった。
向う先には、震える三枝由紀香がいた―――――。

(止めろ……!)
予想される未来に、山岸は頭の中で叫び声をあげた。
蒔寺楓がこちらに気付いた。
目が驚愕に見開き、山岸を見る。
(逃げろ……逃げてくれ!)
あいつらは、俺の仲間なんだ。
あいつらを守る為に、俺は―――――!
山岸の体が走り始めた。
洗練されたフォームはこんな時ですら崩れていなかった。
飛ぶ。
沙紀が目の前の異形に気付いた。
笑う。
「前門の虎、後門の狼って感じですね」
凛が気付く、叫び声を上げた。
瞬時に三枝が狙われいる事を気付く。
士郎の注意も後ろに逸れた。
「油断大敵」
沙紀のナイフが突き出される。
咄嗟に飛び込んできた牧村がそのナイフを手で掴み、沙紀を引き倒した。
「……何で、貴方がここにいるんです」
「それはこっちの台詞だ」

凛はポケットに手を突っ込んだ。
最後の宝石、できれば残しておきたかったが。
その迷いは、一瞬。
だが、山岸が間を詰めるにはそれで充分だった。
腕が由紀香の命を狩ろうと、動く。
蒔寺が、三枝を突き飛ばした。
「蒔ちゃん!!!」
上げた叫び声と同時に、蒔寺楓の背中は切り裂かれていた。
「こんにゃろ……!!」
蒔寺は、一言呻くがそのまま地面に倒れ付す。
山岸は顔を喜悦に歪めた。
(止めろ!!!)
まだ、助かる。
蒔寺の運動神経のおかげか、それとも運か。
傷は幸いにも深くなかった。
(止めろ、止めてくれ! 俺は、俺はこいつらを守る為に―――――!!!)
誰よりも、仲間を大切にする少年は。
仲間を救うと誓った少年は。
その仲間を――――――――――殺そうとしていた。

無常にも振り上げられる腕。
視界の隅に、衛宮士郎が持つ鋼剣が見えた。
全身全霊を使い。山岸薫は叫んだ。
目から血涙が流れる。
「俺を殺せ!! 殺してくれぇ!!! 衛宮あああああああああああああっ!!!!」
こうして、正義の味方は再度選択を迫られる。
一を捨て、九を救うのか。
躊躇って、何もかも失うのか。
士郎は、訳も分からないまま走り出した。
ぐしゃぐしゃな思考。
構えられる鋼剣。
「あああああああああああああああああああああ!!!」
振り絞られた叫びは、何の意味もなしていなかった。

―――――何処かで、誰かが微かに笑った。



裏切られる思いは、結局は未来に続かない。
理想が正しかったから叫べた。
だが、それはあの赤い騎士も同じだったのではないだろうか。
理想を貫き死んだ。
だが、彼はその時点で割り切ることを知っていた。
衛宮士郎はそれすら間違っていると、叫んだ。

正義を実行するものは、正義を裏切らなければならない。

なんて、矛盾。
それを、見逃して。目を逸らして理想を語れと言うのか。
一度でも見捨てたら、正義の味方は正義を語れない。
その、筈だ。
切嗣もアーチャーも正義の在り方は語ったが、自身の正義については語らなかった。
己の信じた正義。
それは、間違ってはいないと叫べる至純の夢ではなかったか。
目の前で、仲間の為に死のうとしている少年を殺す事で成される夢ではなかった筈だ。
そんな、正義が在って良い筈がない。
正義とは、悪を殺す事ではない。
正義と悪がこの世に入り乱れるのなら、その矛盾を踏み倒して総てを救うものこそ正義の味方だ。
灼熱する頭、明滅する思考。
噛み締めた歯からは軋む音がする。

世界が遅い。

蟲の腕が、少女に振り下ろされる光景も。
助けられた少女が、逆に少女の身代わりになろうとする光景も。
誰よりも愛しい人が、叫ぶ声も。
継ぎ接ぎだらけの兄妹が交わす言葉も。

衛宮士郎には、総て認識できる。

何もかもが間違っていた。
こんな学校も、間違っているし。
誰かの為に死のうとする、少女も間違っているし。
ナイフを突きつけられても、表情を変えない兄も間違っているし。
今まで何もかもを捨てて『衛宮士郎』を殺そうとしていた妹も間違っているし。
誰かを助けようと駆け出す正義の味方を、止める恋人も間違っているし。
誰よりも何よりも仲間を大切にしていた少年が、自分を殺せと叫ぶのも間違っているし。
信頼していた筈の男が化物に変わっても、死の瞬間まで目を閉じない少女も間違っていた。

だが――――――――――何よりの間違いは、貴様自身だ衛宮士郎。

正義の味方が、誰かを助けられなくてどうする。

踏み出す一歩に躊躇いは無い。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」

叫ぶ声を阻むものなど一切無い。

赤い騎士は何時でも、荒野の先で衛宮士郎を待っている。

だが、間違うな。
衛宮士郎。貴様が辿るべき道はあの英雄と同じではない。
断じて違う。
あの男の歩いた道が、夥しい死体と怨嗟で満ちているのなら。
その中で理想を貫いたと言うのなら、そんな理想は衛宮士郎にはいらない。
衛宮士郎の歩く道は、幸せに微笑む大好きな人たちと、世界中の笑い声で満ちている。
その道の果てに、衛宮士郎が正義を信じていられなくなっても。

構うものか。

総ての矛盾も怨嗟も己の内に留めて見せよう。無理だと言うな、やってみせる。
この体が、いくら壊れようとも。信じた理想に裏切られボロボロになろうとも。

―――――裏切ってなど、やるものか。

「割り切って、自分に甘えたりなんて―――――」
しない、と。衛宮士郎は叫んだ。

停止している世界。
唯、自分の持つ刃だけが速く。

山岸薫の『腕』を切り裂いた。



飛ぶ、山岸の『蟲の腕』。
「―――――は」
漏らした音は衛宮士郎の笑いか、それとも山岸薫の驚きの声か。
小さな音を立てて、蟲の腕が床に落ちた。
暫しの静寂の後、山岸は沈黙を破った。
「……お前、凄えよ。衛宮」
口元には穏やかな笑み。
士郎は剣を下げた。
「そんなこと、ない」
衛宮士郎は、美作明を殺している。
山岸は、首を左右に振った。
「お前は、凄え」
呟いて、山岸は前に進んだ。
衛宮士郎の横を通り過ぎ、落ちた腕を拾う。
そして、そのまま窓に近づいた。
軽い音を立てて、窓が開き冷たい風が吹き込んできた。
「なあ、衛宮。生きるって難しいなあ」
衛宮士郎は、鋼剣を取り落とした。
山岸が何をやろうとしているのかを悟り、走ろうとする。
「来るなよ」
だが、その行動は山岸が窓に仰け反るように体重をかけた事で止まる。
泣きそうな顔をする衛宮士郎に、山岸は笑いかけた。
「俺、もう駄目だわ」
切断された腕から、血がまったく出ていなかった。
断面は、夥しい数の蟲が群がり塞いでいる。
「実を言うと、もう体も巧く動かない」
そのまま、体重をどんどん後にかけていく。
「俺はさあ、もう折れちまったんだよ衛宮。自分の中にある絶対的な部分、『芯』とでも言うのか? そいつを折っちまった」
由紀香に抱き起こされる蒔寺に目をやった。
「悪いな。蒔寺、三枝。……氷室と小山にも伝えておいてくれ。最後まで守れなくてすまん」
お前達だけは、絶対無事で家に帰してやる気だったんのにな、と呟く。
由紀香は静かに首を左右に振った。
蒔寺は、脂汗を流しながら快活に笑う。
「気にすんなよ、部長」
そこで、言葉を切って蒔寺の顔が歪んだ。
「だから」
「それは聞けない」
死なないでくれ、と続く言葉を山岸は遮った。
「このまま、このチャンスを逃せばきっと俺はお前等を殺す」
流れる涙。だが、その目に映る人間が食料に見える。
それが、悲しくて。そして、赦せなかった。
「まだ、衛宮もいるし遠坂もいる。柳洞と美綴だっているんだろう」
目を向けた先には、呆然とこちらを見る牧村の姿があった。
「氷室と牧村はお前等を絶対に見捨てないだろうよ」
「待て、待ってくれ!!」
士郎は叫ぶ。
見捨てないと決めた。見捨てないと決めたのに。
何故、何故、何故!
「良いんだ、衛宮。俺は殺さなかった。傷つけちまったけど殺さなかったんだよ衛宮。それはお前のお陰だ」
山岸の体が、完全に外に出た。
「―――――だから、ありがとう」

誰もが叫んだ。

山岸は浮遊感を味わいながら、墜落する。
「へっ…………」
走馬灯なんて、浮かばなかった。
今までの事なんて、思い浮かばず。
ぼんやりと、家で待つ家族と。
救えなかった、仲間達の姿が浮かんだ。
不思議と、残った仲間達の姿は浮かばなかった。
『不思議と』? その自分の思考に山岸の顔が緩む。
全然、不思議じゃねえ。だってあい












ぐしゃり、と音を立てて山岸薫の頭は砕け散った。
死に方は醜く、哀れなものだったが。
彼の顔が笑みに彩られているのを誰も知ることはできないが。
それでも、山岸薫の死に様は誇り高かった。

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