十三式大回転

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zoom RSS ギルガメッシュルート(5)

<<   作成日時 : 2006/03/04 22:46   >>

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ビビってんじゃねえぞ。
「はあ―――――」
ぎり、と奥歯を噛み締める。
ビビってんじゃねえ。
衛宮士郎は虚脱状態から立ち上がった。
忘れていた訳ではなかった。目的を、何を成すべく此処に来たのか。
それを忘れていた訳ではなかった。

遠坂凛の顔がこちらを見ていた。
もう二度と動かない。もう二度と笑わない顔が。
ただ、お前は成すべきことを成せと。
あの、憧れた少女の強さで訴えてきた。

「ああ、わかってる」

桜の元に体を引き摺って戻った。
ライダーが無言でこっちを見ている。
「すまん」
「………いえ」
僅かに顔を振って、言った。
「戻ってこないかと思いました」
「あそこで、潰れて?」
「ええ」
ライダーは僅かに口元を緩ませる。
「桜を宜しくお願いします」
ライダーは立ち上がる。セイバーとギルガメッシュの加勢に向う心算なのだろう。
士郎はそれを引き止めた。
「ちょっと、待ってくれ。ライダー」
「―――――何ですか? 無駄話の時間は無いと思いますが」
ギルガメッシュもセイバーも圧倒的だ。
だが、『この世総ての悪』は無尽蔵に再生していく。
ありとあらゆる願いを叶える魔力の釜。それは、恐ろしいまでの効力を発揮していた。

あの二人が味方に回ってくれているのだ。勝機は充分過ぎる程ある。
だが、衛宮士郎と遠坂凛そして、ライダーの目的は『この世総ての悪』を打倒することではない。
間桐桜を救う事にあるのだ。
「今から、桜とアレの契約を切る。―――――だけど、同時に多分ライダーとの契約も切れてしまうと思う」
士郎は短剣を拾い上げ、桜に向けた。
「その時、桜はライダーのマスターじゃない。それでも」
間桐桜を助けてくれるのか。
その問いに―――――

―――――ライダーは、微笑み頷いた。

「愚問です、士郎。私は、桜に幸せになってもらいたい」

ああ、きっと。

「そういってくれると思ってた」

桜に短剣を近づける。
「契約が切れたら桜を外まで頼む」
「………わかりました」
納得できない所もあるだろう。
問いただしたい事もあるだろう。
それでも、ライダーは頷いた。頷いてくれた。

士郎は僅かに、微笑み。
短剣を振り上げる。
意識が無い桜の顔は、眠っていた時の嘗ての姿を思い出させた。
「眼が覚めた時は、全部終わってるから」
そう願って。そう誓って。
衛宮士郎は短剣を振り下ろした。



セイバーとギルガメッシュは一瞬だけ眼を合わせた後、互いに『この世総ての悪』に走り向った。セイバーは聖剣を構える事はせず、地面に剣の切っ先を当てている。聖剣は地面を甲高い音を立てて削っていた。
ギルガメッシュの放つ宝具の雨が次々と『この世総ての悪』に突き刺さっていくが、どれも決め手にはならない。ギルガメッシュは歯噛みすると同時に、咄嗟に地面に転がった。頭の上、を赤黒い触手の槍が通り過ぎる。
セイバーは気合の声を上げ、地面を剣で抉った。石礫が降りかかる。
そのまま前に飛ぶように踏み込んだ。完全に殺し尽くすには宝具の一撃の下で焼き尽くすしかない。
『この世総ての悪』が甲高い声を上げる。怨嗟の表情を浮かべる顔がかぱり、と口を開く。
鋭い舌が突き出し、セイバーの体を幾重にも穿った。

「セイバー!!!」
ギルガメッシュの叫び声に、何ら反応する事無く一人泰然自若。剣を振り上げる。
殺し切れぬか、あるいは殺し尽くせるか。
その多くは問題では無い。忠誠を尽くすと誓った主を裏切り。また新たに得た主を裏切った。元の鞘に戻っただけと言えば、聞こえが良い。だが、自分自身は納得し得ない。
己を騙すことは出来ない。一度折れた剣は二度と直らない。傷なら治ろう。だが剣は直らない。もう、私は駄目だ。セイバーは確信した。体中を突き刺されながら、確信した。折れた剣は戻らない。

「約束された――――――――――」

舌が眼を穿った。眼球が抉り飛ばされ、宙を舞う。
笑う、騎士王。裏切りの騎士にこの所業は相応しい。舌は止まらない。セイバーの脳髄すら穿ち飛ばそうと骨を削り進んでいく。
騎士王は真名を完成させる為に言葉を繋いだ。頭の中には敵を殺すという思考と、折れた剣のイメージが浮かんでいた。
折れた剣の名はカリバーン。己が騎士道を反し折れた剣。
今の私はこの剣自身だ。
二度と返らない剣。二度と戻らない剣。
無様に折れた剣は、主に捨てられ、見捨てられる。
否、それ以上に。
剣自身が己に見切りをつけるのだ。
敵を切れぬ剣など、何になろう。
剣の存在意義が殺人なら、殺せぬ時点でそれは唯の鉄屑だ。

「―――――勝利の」

鉄屑という言葉に、胸の奥から一つの問いが浮かんだ。
だが、それは本当に?
本当に、何も切れぬ剣なのか?
本当に、誰も殺しえぬ剣なのか?

本当に―――――何も成し得ぬ剣なのか?




違う。




頭の隅。遠い記憶の果て。
立ち並ぶ騎士達。
多くが私に剣を捧げた。
騎士の誓い。

その思い出の向こうに。

嘗ての私が立っている。



両腕が引き千切られた。
痛みの声は漏れない。思考は灼熱していた。
聖剣が転がっていく。どんな時も私を見捨てなかった剣が私の両腕と供に離れていく。
構わない。そう思った。


嘗ての私が鞘から剣をゆっくりと引き抜いた。
記憶の中の騎士達が言う。進め、我等が騎士王。各々が剣を抜き放ち、打ち鳴らした。
貴方こそ我等の誇りなり。
嘗ての私が、鞘から抜いた剣を私に向けた。
何か呟く。聞こえない。唯、薄く笑った。再度、口を開く。今度はしっかりと聞こえた。

戻ったぞ、返ったぞ。


歯を剥き出しにした。骨が削れる。頭蓋を鋭利な舌が割っていく。
苦痛の声を上げるために口を大きく開いたのではない。歯を剥き出しにしたのではない。
一瞬の交錯。瞬間の刹那。一つの剣が滑り込んできた。

カリバーン。

その剣は、そう呼ばれていた。
体を更に前に倒した。歯でその飛び込んできた剣の柄を噛み締めた。
ばきばき、と歯が音を鳴らして折れたのが解った。
構わない。返ったのだ。戻ったのだ。構わない。折れた剣は無力ではなかった。
舌が頭の半分を抉り飛ばした。脳漿が飛ぶ。血の雨の中、セイバーは動じない。最強の騎士は死なない。最強の騎士は揺らがない。

真名もいらない。ただ、打ちつけよ。

踏み出す。踏み出す。
体中に穴が開く。割れた頭から、血が飛び散る。受肉したのが間違いだったか? 衛宮士郎に味方したのが間違いだったか?

―――――真逆。

踏み込む。踏み込む。
『この世総ての悪』が絶叫を上げた。子供の顔で老人の顔で女の顔で男の顔で。絶望の声を上げていた。あれは、我等と同質の存在。それが何故あのように輝かしい。

黒く染まった身。美しいとは言えぬ、その駆け様。
それが何故あのように神々しい。
編みこんだ金の髪が解けて、風に舞った。

黄金の瞳が、『この世総ての悪』を射抜く。

交差。

そのまま、前のめりにセイバーは崩れ落ちた。
口から、カリバーン―――――否、グラムが落ちた。
残った片目で、その剣を見る。幻を見たとは思わない。
この剣はこの時、あの瞬間だけ。一時の伝説になった。

「―――――あ」

『この世総ての悪』がぽつりと声を漏らす。子供のような声であり、老人のような声であり、男のような声あり、女のような声であった。

不意に男の顔が破裂する。
続いて女、老人、子供。否、びっしりと体表に浮かんでいた顔が次々と破裂していく。

ギルガメッシュはその様を静かに見ていた。
彼の立ち位置から、セイバーが真名を解放しようとした瞬間に彼女の腕を切り飛ばさんとする触手が見えた。故に援護の意味で宝具を放った。彼女とそれなりに結びつきがある魔剣グラムを。かの誇りの剣の原型を。
それを、あのように使おうとは。
「恐れ入ったぞ、騎士王」
真名を解放せず、あの『この世総ての悪』を殺し切った。
流石は、この英雄王が己以外唯一人の王と認めるだけのことはある。

破裂し続ける『この世総ての悪』は、己が内から噴出した泥の海に沈んでいた。
「我が手を下すまでも無かったか」
あの様では明らかに致命傷。
だが。
セイバーに眼を向けた。こちらも今にも消えそうである。
両腕は千切れ、頭は割れ、体中は穴だらけだ。
手を施せば、多少は生き存えるかもしれぬ。
ギルガメッシュはそう思い、セイバーに向って足を踏み出そうとした瞬間に。

「な―――――!?」

横凪ぎに振るわれた触手に吹き飛ばされた。
不意打ち? 否、動けぬ筈の者が動いた。完全なる思考の死角からの一撃である。

そのまま、触手は眼にも止まらぬ速さで、間桐桜に向っていく。
いかなる、理由かは知らない。想像は出来るが、確かな確信は無かった。
ギルガメッシュは叫び声を上げた。
「雑種!」
その一声で士郎が気付いた。
すぐさま状況を判断し、桜の前に出る。ライダーは桜を運び出す途中だったのか、彼女を抱えていた。

避ける事は、衛宮士郎には出来なかった。



後、一度で良い。我侭は言わない。無茶とは言わせない。後一度で良い。それだけで良い。
動け。動け。
ボロクズと化した体よ。身に刻んだ誇りはまだ生きているか。

思考はいらない。ただ、意志で向う。

体を刺し貫かれる主。今正に心臓に触手の槍が突き立とうという最中。
「ギ―――――」
名前を呼ぼうとした。だが、出来なかった。きっと、言葉を放つ機能は吹き飛んだ脳髄の中にあったのだ。
ぎりぎり、と噛み締めた歯が鳴った。
理想を捨てたと血を吐くように言った。衛宮士郎。だけど、貴方はそうやってまた人の前に立つ。役立たずのマスター。今まであった中でも最低の魔術師。

―――――最高の魔術使い。

死んでやろう。死んでやる。貴方の為に死んでやる。貴方は私に最期まで夢を見せてくれた。誇りを取り戻せた。ならば、代償に命ぐらいくれてやる。受肉した体は痛みが異常なまでに酷かった。英霊の肉体の便利さというものを痛感する。だが、受肉したから頭を吹き飛ばされても未だ動けたのだ。感謝しよう。

ギルガメッシュが怒鳴り声を上げていた。止めろ、間に合わん。
思えば、彼と肩を並べる事など永遠に無いと思っていた。最強の敵。今は―――――どうだろう。味方ではない。だが、彼の王としての姿勢は好きだった。なろうとしていた完璧に近かった。神々ですら眼を逸らせなかった王。私は貴方に敬意を表します。

揺れる体。無意識の内に走っていた。動いた。動いてくれた。
「はは―――――っ」
笑みが漏れた。誇りは刻まれていた。ただ、前かがみに今にも倒れこみそうな疾走。
視界の端に捉えた衛宮士郎は泣きそうな顔をしていた。触手が胸に突き刺さる。ああ、痛いですか、シロウ。すいません。ごめんなさい。役立たずなサーヴァントでした。私は。
望みを叶える為に、己を見失った。英雄王と自分の違い。泥に犯されたか否か。
意志を強く持てなかった。
だけど。
今は違う。

折れぬ意志で。取り戻した誇りで、騎士王は『この世総ての悪』に走り向う。

違うと、―――――そう願っている。

ぐずぐずに崩れた泥。嘗てそれに負けた。今は負ける気がしない。

それだけだ。

駆ける軍靴の音。騎士達の叫び声。抜刀。
進め。進め。興奮が頭を焼いた。横に眼をやれば騎士達がいる。
幻か、遂に頭がイカレたか。構わない。これで満足だ。成しえなかった行軍。在り得なかった進軍。それを見せてくれるなら、頭がイカレても何ら問題は無い。何時ものように。そう何時ものように。先陣を切るぞ、一番槍は誰だ、名乗りを上げるのは誰だ。

『この世総ての悪』が、セイバーに気付き体を震わせる。崩れた顔が絶叫した。

セイバーは体を砲弾の如く、前に進める。
そして、砲弾の如く『この世総ての悪』に突撃した。

セイバーは飲み込まれる。だが、衛宮士郎に向った触手はセイバーが与えた衝撃により彼の体を浅く裂くに終わった。

セイバーはその様子を見て、満足気に笑う。
体が飲み込まれていく。最期にさようならが言いたい。ああ、マスターの名前が出てこない。喉が震えない。飲み込まれていく。私が、私が消えていく。その前にさようならを。
離別の言葉を。口が開いた。掠れた音が漏れる。さようならを言おう。

「あり……、がと、う」

出たのは離別の言葉ではなく感謝の言葉だった。
それが可笑しくて。
それが嬉しくて。
セイバーは、にっこりと微笑みながら。

『この世総ての悪』に飲まれた。



「こんばんは、アサシン」
アサシンは顔を上げた。正確には上げようとした。致命傷を負いながら、ただ魂が其処にあるだけのアサシンには顔を上げる必要もなかった。上げる事も出来なかった。
白い少女はアサシンの魂に向って手を伸ばした。
「力を貸してくれる?」
アサシンは思う。この少女は何なのかと。敵か味方か。あるいはもっと別の存在なのか。
そこまで考えて、アサシンは喉を鳴らして笑った。暗殺者が考えることではない。
この殺しの力が必要ならば、手を貸す。きっと、ここで手を貸すことはあの英雄王に組する事になるだろう。それは、個人的にも愉快な事だった。

アサシンは手を伸ばす。白い少女とアサシンの手が重なった。

「バーサーカーとアーチャーは一応、私の中だけどバーサーカーは汚染されていて、アーチャーはもう戦えない。貴方が最期の希望なのアサシン」

その言葉と同時にアサシンの意識は断線した。



震える体を引き摺って、衛宮士郎は前に出た。
何を失った? この数日間で何を失った。自分の我侭の為にどれ程の、者と物を失った。
覚悟していた? 覚悟していただと。
笑わせるな、笑わせるな。この現実を――――。

憧れた赤い少女と、供に駆け抜けた金色の少女を思い出す。

――――自分は覚悟できていたというのか?

ライダーと桜はもういない。彼女等はもう自分の背中にはいない。だったら、逃げるべきだ。何を置いても逃げるべきだ。衛宮士郎はセイギノミカタでは無いのだから。

なのに。

何故にこの足は震えながらも前に出るのか。
ああ、糞。――ああ、糞ったれ。

――正義の味方は、大人になるほど――。

解ってる、解ったんだ、切嗣。俺は、それを知ってしまった。あんたと同じ、景色を見てしまった。あんたが多分、俺を愛してくれたように。
見ず知らずの人間を救い続けて死んだのではなく。

――――最期に俺の元に帰ってきてくれて、そこで死んでしまったように。

俺ももう、誰かを救っては死ねない。桜の元に帰らないと、死ねない。
少し前まで、抱いていた理想は畳んでしまった。
アーチャーの腕は、俺に自分の未来の末路を教えてくれた。少し前までの自分なら、それも教訓として前に進めただろう。だが、今の自分はどうだ。それに、恐怖を感じてしまったのではないか。桜が隣にいてくれない事に恐怖を感じてしまったのではないか。

その通りだと、そう言ったら。

灼熱の夜。始まりの日。
そこで、踏み付けてきた総ての人間に。
自分は怨嗟の声を向けられるだろうか。

『この世総ての悪』に向うのは、贖罪か。

それならば、まだ救いようがあっただろう。
ざり、と地面を踏みしめながら前に進む。
黄金の王の背中が見えた。
「良いのか」
声が聞こえた。ああ、それは当然の問いだろう。俺の目的は、桜を助ける事だけだ。
つまりは、ここから先は付き合う必要の無い、人外所業。俺みたいなクズは必要ない。
「ああ」
もっと、巧く立ち回るべきなのかもしれなかった。
このまま、桜の元に帰ればよい。この黄金の王は必ず、『この世総ての悪』を討ち果たすだろう。
安穏とした日々を過ごせばいいのだ。一番愛する人と一緒に。

だが――――。

「手伝ってくれ、ギルガメッシュ。俺はアイツを許せない」

――――そんなことは、出来なかった。

アイツは桜を泣かせた。

一歩。

アイツは何人もの人を殺した。

一歩。

アイツは遠坂とセイバーをこの現実から蹴落とした。

一歩。

びくん、とアーチャーの腕が跳ねた。都合が良い、そう言いたいんだろ、アーチャー。
ああ、解ってる。解ってるさ。――解ってるよ。
でも、後一度だけだ。これから先、どんな困難があろうともこの理由を持ち出すのは金輪際最期にする。約束する。

だから、失った理想。捨て去った理想。誰かの為に怒る力を。目指した正義という理由を。
もう一度だけ、俺に掲げさせてくれ。

正義の味方。

その理想を、その理由で、俺に刃を振りかざさせてくれ。


一歩。
ギルガメッシュと衛宮士郎は肩を並べる。
ギルガメッシュの唇はつりあがっていた。
「なるほど」
ぽつり、と呟いた。未だに蠢く、『この世総ての悪』を見据えながら呟く。
「なるほど、なるほど、なるほど、――――そういう訳か」
『この世総ての悪』の悪まで、六十歩程。その最期の道程を、英雄王は先んじて踏み出す。
「それは、そうだ。その通りだ。――――セイバーが命を懸けた、小娘が命を捨てた。その価値がお前に無ければ、我の世が傾く。釣りあいがとれん」
では、行こうか。手を振り上げて、ギルガメッシュは更に歩を進めた。
「――――付いて来い、雑種。何、敵は世界の悪意だ。この世、総ての悪意だ―――――何も、恐れる事などないだろう?」
『この世総ての悪』など、敵では無い。と、英雄王は笑いながら言った。
率いてやる、付いて来いと、その金色の背中を見せた。

衛宮士郎の顔に表情が浮かぶ。
それは決意の笑みだった、決然とした笑みだった。

英雄王の蔵が開かれる。

だが、それでも。中空に浮かぶ幾多数多の伝説の宝具でも。

「ええ――それでも足りない」
声は背中を打つ。誰の声かなんて、問うまでも無かった。
ギルガメッシュは振り向かず、ただ前のみを見据え。
衛宮士郎は唱えかけていた、投影魔術の詠唱を止め驚愕の表情で振り返る。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは二人をその双眸に捉えながら言う。
「この聖杯も、アヴェンジャーその物も破損しているわ。もう聖杯自体にガタが来てるのよ。無限の魔力の釜と言っても、その実無限じゃないわ。劣化もするし、衰えもする。だいたい、無限――限りが無いなんて概念は人間故の思想。もしかしたら、宇宙にだって限りがあるかもしれない」
「講義はいらん」
ギルガメッシュは、切って捨てた。
「殺す術のみをいえ」
「せっかちな人ね」
呆れたと言わんばかりに、イリヤは肩を竦めた。――当然、英雄王にはその仕草は見えていないが。
「――聖杯を壊すなんて簡単よ。今のアレは無形の存在。サーヴァントとマスターの関係は良く出来ているわ。サーヴァントにとってマスターは現代の世界のくさびなのよ。だから、アレはサクラを欲していた――手に入れる事で脆くなってしまうとしても消えるよりはマシだもの」
そこで言葉を切って。
「――遠回しな言い方は止めましょうか。詰りは、アレに明確な形を与えてやればいいのよ」
軽やかな足取りで、イリヤは英雄王と衛宮士郎を追い越した。
士郎が、反射的にイリヤに手を伸ばす。イリヤは、士郎と目を合わせた。その目に浮かんだ感情は途方も無い、優しさだった。
「“動かないで”」
その一言で、手が止まってしまった。歯を食いしばる。意志の強さなど、総て知らぬとばかりに肉体は動かない。
彼女の眼が怪しく輝く。魅了の魔眼。そんな単語が頭を掠める。
優しげな表情をしたその顔に、一度も見たことが無い母親という存在を幻視する。
「都合の良い事態は起こらない。誰だって傷ついて、お話しのように幸せには終わってくれない。ええ、シロウ。貴方はその現実が嫌で嫌で堪らなくて正義の味方になりたかったんでしょう」
でも、正義の味方はもういない。
「シロウ。もう、夢のような奇跡はお終い」

ギルガメッシュは。目を閉じた。彼女が何をするか、解ったからだ。止める理由は無い。止める気もない。ギルガメッシュはこの聖杯に何ら思いいれなどない。
そう、役割なのだ。これは、当てはめられた役割なのだ。小娘が妹を守りきり、セイバーがマスターを守りきったように。これは、動かぬ配役である。
誰もが無駄なく配置されている。とギルガメッシュは思った。人の役割とは何処までも普遍か。あるいは、不変か。――どちらでもいい。問いかけるのは、一つの事。
死ぬのが、この聖杯の役割だとしたら。
――自分の役割は、何なのかと。
その思考を、一笑に伏した。この英雄王を、世界が定める役割などに当てはめられようも無く。儚げに微笑む、聖杯を見る。
死ぬのが役割か。同情は無い。憐憫も無い。止める気など毛頭無い。
だが、違えぬようにと。ギルガメッシュは手を握り締めた。

「奇跡は多くあった。此処まで誰も死んでいなかったのも奇跡なら、私がこうやってシロウと話せる事すら奇跡だった」
ず、とイリヤの足が泥に向って踏み出された。
「足元の不確実さなんて、皆知っていた。一歩、踏外してしまうだけで、総てが瓦解してしまうなんて事は自明の理だった」
「イリ、や………?」
片足が沈んでいく、躊躇いも無く、もう一方の足も泥に浸した。
「でもね、シロウ。リンもセイバーも――そして私も、自分の死にきっと後悔なんて無い。望むように、戦って望むように死んだのよ。その死に様を悪しく語ることは誰にも出来ない。させやしない」
身体が泥に沈んでいく。
「セイバーは誇りと忠義を守って死んだ。リンは妹を守って死んだ。だったら私は」
シロウの為に死にたい、と。笑いながら呟いた。それが、私の望む満足できる死に方だと。

衛宮士郎は走り出そうとした、足の筋肉が切れた。ああ、知るか。畜生。知るか。
進め。まだ、間に合う。今ならまだ泥は腰までしか届いていない。イリヤを救えるのだ。
畜生。動け、動け動け動け動け――――っ!!

「少しの幸せをあげる。凛の魂はまだ此処にあるから」
困ったような表情を浮かべた。足掻き続ける、自分を見てすまなそうな表情を浮かべた。

ギルガメッシュを見た。彼は動かない。黙って目を瞑り、腕を組んでいた。

首まで、イリヤの身体に泥が首までつかる。助からない、助けられない。そんな言葉が頭に浮かんだ。五月蝿いとそれらを捻じ伏せて。
「イリ………、ヤ!」
叫ぶ。身体は動かない。震える唇で叫び。手を前に出した。掴めるように。きっと、何処かで取りこぼしてしまった可能性がもう一度戻るように。腕を突き出した。
だが―――――伸ばした指は絶望的なまでに届かない。


「ありがとう、シロウ。少しだけだったけど、楽しかったよ」
とぷん、と泥が鳴りイリヤの姿は永遠に消えた。




奇妙に胸が静かだった。失い続けた心は、最早サザナミすら立たなかった。
悲しみは胸に総て押し込めた。
数十年たっても、きっとこの瞬間を思い出す。自信がある。ほんの数日の付き合いの少女を思い出してきっと、泣くだろう。
ああ、多くのものを失った。ならば、足を止めてみるか。もう嫌だ、そう言って逃げ帰るか。

桜の微笑みが一瞬、頭を掠める。

それが、人間として正しい在り方だって事は解っている。
だが、俺は此処で逃げ帰って桜の笑顔を胸を張って受け入れる事が出来るか。
伸ばさなかった手に後悔した。
届かなかった手に後悔した。
失ってしまった数多の命に後悔した。
セイバー、遠坂、そしてイリヤ。
顔も知らない、数多の人。
それらを総て知らないと言う事は。

衛宮士郎には出来なかった。



――聖杯を壊すなんて簡単よ。

彼女の言葉を思い出す。彼女? ああ、彼女だ―――――。

一瞬のノイズ。
するり、と抜けてしまいそうな記憶を無理矢理掴んだ。

―――――イリヤが背中を押してくれた。

「来るぞ」
ギルガメッシュの一言で思考は中断された。
「―――――切り捨てるモノと切り捨てられるモノ。世界はどうしようもなく、狭い。ああ、だから多いというのはそれだけで気持ち悪いと言ったのだ」
世界が塗り替えられていく、僅かに記憶の片隅に引っ掛かるものがあった。
アーチャーの腕が訴えてくる、記憶。固有結界。
それに、類似している。

「いなくなると、こうも胸を煩う。人間など初めから少ない方が良い」
ギルガメッシュは変質した世界を見て、呟いた。
そこは、英雄王にとって、衛宮士郎にとって始まりの場所だ。
彼の王は此処で受肉し。
彼の少年は此処で理想を手に入れたのだから。
だが、英雄王は呟く――下らんと。

眼前に見える大穴。

そこまで同じか、とギルガメッシュは嘆息した。
ああ、此処は我にとって敗北の場所であろう。英雄王は此処で騎士王に敗れた。
あの忌々しい泥に飲まれて、サーヴァント『アーチャー』として召還された自分は敗れたのだ。

だが。

浮遊している剣に号令を下した。孔から出てくる無数の触手を総て叩き潰す。
孔の中心には生贄に捧げられた如くの、アインツベルンの娘。
心臓は動いていよう。だが、もうあの娘の人格は存在していまい。
それがアインツベルンの聖杯だ。人間という機能を捨て、聖杯となるのがアインツベルンのホムンクルス。

あれは、腐れた『この世総ての悪』に捧げられた生贄か。
答えは。

触手が迫る。だが、ギルガメッシュは泰然自若。笑みすら浮かべて迫るそれを見ていた。

ギルガメッシュの喉をえぐるだろう一撃は。放たれた短刀に阻まれる。
それは、見覚え深き物。二度殺しあった。ならば、三度目も敵か?

問うまでも無かった、どちらの疑問も。

あの聖杯は生贄などでは無い、この最悪の泥を世界に垂れ流さないように受け止める杯であり。
「―――――ハ」
自分の前に黒い外套を翻させる、暗殺者は敵であろう筈が無かった。
「アサ、シン?」
衛宮士郎の言葉に、アサシンは微かに頷いた。
「何故来た」
からかうような調子で聞く、ギルガメッシュ。
アサシンは背中を見せたまま呟く。
「殺ししか能が無い者に、何を、と。そう聞くか、英雄王」
「まさか、ほんの戯言だ。アサシン。ああ、そうであろう。暗殺者のする事は一つ」
「そう一つ」
ばらり、とアサシンの手にダークが広がった。
ギルガメッシュは、蔵から宝具を次々と取り出す。
「「殺すだけだ」」

声が重なった。



走れ。アサシンは言った。
走れ。ギルガメッシュは言った。

アレはこの『時代』に顕現したものだ。
ならば、お前が倒せと。否、衛宮士郎自身、己の手でアレを討ち果たすと。
そう、言った。

触手を打ち払う、アサシンの後に続く。

道は作ろう。お前は続け。
梅雨払いはしてやろう。せいぜい、無様に走れ。

二人の英雄の声を思い出す。
―――――言ってくれる。
この衛宮士郎の原風景の中で、この地獄の中で。
もっと、力があれば何とか出来たかも知れないなんて願った場所で。

よくも、そんな嬉しい言葉を言ってくれる―――――!!



アサシンは問う。自分は死んだ筈では無かったのか。
是。ああ、確かに―――――己は死んだ。英雄王に破れ、サーヴァントとしての役目を終えた筈だ。中途半端な肉と魂が残っていたが、このように動ける程のものではなかった筈だ。
外套から覗く手足そして肉体は灰色の肉であり、褐色の肉であった。
私の体では無い、な。
ぶおん、と腕を振るった。つぎはぎだらけの身体が軋む。
投擲されたダークが、飛び込んできた触手を叩き落した。
悔いは無かった筈だ。己を出し切って、殺しあった。正面からあの英雄王と戦って死んだ。
悔いなどあろう筈が無い。
ならば、この戦いは何だ。役目を果たし、何もかも終わった後で、参加しているこの戦いは何だ。

アサシンは正面から来る触手のみを切り払う。左右は完全に無視だ。ギルガメッシュの宝具が総ての触手を叩き落してくれている。

しかも、暗殺者としては最低。正面から突っ込んでいく。この戦い方は何だ。
後に駆ける少年がいるからか。この何の係わり合いも無い少年がいるからか。
それこそ、馬鹿だ。アサシンに義侠心などあろう筈も無い。命令されないならば、動かない。当たり前だ。ああ、当たり前。

―――――ならば、何故。自分は走っているのか。

襲い掛かってくる触手を、切り。抉り。あるいは投擲した短刀で叩き落して。
何故に千切れそうな身体を前に進めているのか。
理由などない。そんな風に開き直れたら良い。アサシンは微かに笑った。そうなれたらどんなに良かっただろう。殺す事にも殺される事にも理由なんて求めないで殺し続けていられたらどんなに良かっただろう。

だが、考えてしまったのだ。殺した事に後悔は無い。誰を殺そうとそこにそんな感情など挟みようが無かった。感情を薬で殺して。顔を焼いて。命令どおりに殺して。そこに誇りがあった。そこに矜持があった。納得もあった。だが、理由だけが無かった。
何故、自分が何処かの誰かを殺すのか。理由は知らされない。知る必要も無い。知ってはいけない。

だが。一度だけ。ああ、ハサンとして生きた自分の最期に。
一度だけ。ナイフを握ったその手が、一度だけ。人の肉を抉った刃を握りながら。
たった、一度だけ。

―――――ぶるり、と腕が震えた。

く、と喉から音が漏れた。女々しい話だ。過去を語る意味など無く。ただ、思うだけに留めよう。この僅かな記憶こそ、自分が胸に抱いて死ぬ意味があるものだ。
その後に、誰かに殺された記憶など忘れよう。それが、殺した相手の子供だった事も忘れよう。感じたであろう後悔が自分を弱くしたであろう事も忘れよう。ただ、無色たれ暗殺者。

―――――貴方が最期の希望なのアサシン。

そんな、どうでも良い言葉が。
泣きそうに嬉しかったから。
誰も彼も、他人の意思で殺してきて。
希望なんて言葉に当てはめられた事が嬉しかったからなんて。
だから、走っているなんて。

そんな事は、忘れてしまえ。アサシン。

そう、サーヴァント『アサシン』は何の悔いも無く死んだ。
これは、最早彼の聖杯戦争ではない。ならば、良いではないか。
単純に行こう。そうなりたかったんだろう、アサシン。
ならば、そうやって行こう。どうせこれが最後だ。

準備はいいか―――――。

アサシンの足の筋肉が隆起した。手に持っていた短刀を投げ捨て、長い片腕で後方を走っていた衛宮士郎を掴み上げた。そのまま、自身の肉体を焼く触手の上を走り抜ける。
一歩、足を踏み出すごとに気が狂う様な激痛。気が狂う?
は、と笑った。その狂うべく『気』など無い。同種を殺し続けた人間が正気であって良い訳が無い。ならば、構うものか。進め。

―――――ただ、只管に―――――行くぞッ!!

咆哮。



ギルガメッシュは、空を見た。空は赤銅色だったが、青ければ良いと思った。
今にも倒れこみそうな身体を無理矢理支えて、前を見た。駆けるアサシン、続く衛宮士郎。

―――――自分が、アレを殺しても良かった。
孔の中心に浮かんでいる、白い聖杯を見る。ああ、あの少女を自分が殺しても良かった。
だが、それは余りにも無意味だ。あの聖杯の意志を僅かでも汲んでやるのなら。殺すのは自分では無く、衛宮士郎にやらせてやるべきだ。
らしくないな。ああ、らしくない。どうした、英雄王。長くあいつ等と接していて情が移ったか。魔力が底をつき、命を燃やして無理矢理、宝具を撃ち出している己の身を弱気の理由にして今の感情の説明を付けてしまおうか。
曰く、一時の気の迷いであると。
気の迷い。唇を吊り上げた。その理由は余りにもお粗末だ。意趣返しと復讐と借りがある。その目的がある。自分の目的を、無かった事にしてまであいつ等に肩入れする意味は無い。

矛盾している。ああ、解っている―――――。この矛盾こそ、己を殺した感情の一部だ。

生まれた時、鋼であればよかった。
そうすれば、如何なる人間の醜さを知っても。
自分は、そのままでいられただろうに。

情を知るべきではなかった。再度思う。自分自身の死ぬ間際の、思考を繰り返す。
昔は何もかも、理で割り切れると思っていた。人間というモノ総て、綺麗に割り切れると思っていた。良い人間も、悪い人間も巧く使えると。

子供の理屈だ。

我は、何も知らなかった。人間があんなに醜いなんて知らなかった。ああ、自分がこんなにも醜いなんて知らなかった。鏡を覗く様な、絶望。自分だけは違うと確信していたのに、見てしまった、自分自身の醜さを。自分自身の醜さを認めて、その後は総て理解した。

この程度が、人間か。

「まったく、もって」
馬鹿らしい話。
ギルガメッシュは吊り上げた唇から、血を漏らした。無理を押し通してきたのだ。何もかもが傷んでいる。
だが、屈さぬ。
「そうとも」
屈してやるものかよ。世界。
人間の醜さは知った。人間の貴賎は知った。力弱き者は踏みにじられるのみだ。
気に入らない。そう知って。そう振舞って。そう生きてきたが。その生涯に後悔など無いが。

今、初めて。

それが、気に入らないと思った。

醜さも。貴賎も。何処かで踏みにじられる人間も。

あの走る、二つの背中を見て。

気に入らないと思った。
「馬鹿な」
笑った。清々しい笑顔で笑った。今の思考こそ、一瞬の気の迷い。
子供の理屈は捨てた。人間は醜い。救いようが無い。我に踏み潰され、足場にされるだけの踏み台に過ぎない。ああ、そうとも。その思考に迷いは無い。
ならば、今の思考は気の迷いだ。
ギルガメッシュの身体が前に傾く。倒れるか? 否。
踏みしめる。そして、また一歩踏み出した。それを交互に繰り返す。スピードが上がっていく。

そうとも。何もかも知っている。この胸を突く、どうしようもなく叫びたくなる思いが、気の迷いだという事は知っている。その衝動に身を任せる事を、気紛れという事も知っている。

―――――ならば、いいだろう。胸の内にある、ほんの僅かな心残りを此処に置いていく。

ギルガメッシュは、今にも倒れこみそうな程、低く走っていた。宝具の雨は止まらない。英雄王の進撃に追従するように、総ての触手を打ち払う。答えは出ない。何故なら自分の求める答えは、自分の必要とした答えは、生前に総て出してしまったから。今更迷いなど無かった。この暴挙は、時たま起こる気紛れである。

アサシンの咆哮。衛宮士郎の叫び声。ギルガメッシュはそれを聞いた。
口が開いていく、意識などしていなかった。胸を突いた感情が、言葉になって――否、音になって迸った。



視界が揺れる。引きずれらる肉体。僅かに見えたアサシンの顔は笑顔だったように思う。その表情は面の所為で、読み取れないが笑顔だったように思う。
彼の放つ咆哮は何処までも雄々しかった。これが、英雄か。
今、自分を掴み上げて走り抜けるこのモノが。
これが、嘗て衛宮士郎が成りたいと願っていたものか。
ただ一つ、人の身で奇跡を起こす理外の存在か。
「………っ」
憧れぬ気持ちが無いと言ったら嘘になる。
自分も、こうやって走りたいという気持ちが無いと言ったら嘘になる。
だが。

一瞬、頭の中に浮かぶ笑顔。記憶の中、何処にでも居てくれた笑顔。

平穏を望まないかと問われたら、それもまた嘘だ。
はは、と笑った。ははは、と声を上げた。
走るのはこれで、最後だ。これからは、支えていかないと。自分の前でしか笑わなかった少女を。多くの人の前で笑えるようななった彼女を。
自分が、支えていかないと。

景色が高速で動いていく。近づく聖杯の孔。そこに捧げられた聖杯の少女を見る。

だから、総て胸の内に沈めよう。胸の最も深い所に沈めよう。
救いを得た日。
切嗣との約束。
衛宮士郎を、衛宮士郎としていた総てを。今、胸の奥に沈めよう。
自分が死ぬ時に思い出せれば良い。笑った。それでいい。
死ぬ間際に。あの約束が。良かったと呟いた、父との約束を。
思い出せればそれでいい。眩しい程に憧れたその思い出も。
正義の味方という、その最高に震える言葉も。

「ああ、これで終わりだ」

ぶるり、とアーチャーの腕が震えた。
俺はお前にはならない。だから。
だから、なんて都合がいいが。それでも。
だから。

孔が目の前に迫る。

この、放つ一撃に。

「俺と、お前の重みを全部………ッツ!!!」

乗せていこう。



アサシンに思考無く。
ただ、只管に駆ける。この至近距離での敵の攻撃は既にアサシンでは防ぐ事は不可能。
短刀は捨てた。足は貫かれ、肩は抉られ、つぎはぎが落ちていく。
死体が動いたのだ。死人が動いているのだ。最早この奇跡もここまで。
吐く、血反吐は無い。呟くべき言葉も無かった。
役目を果たす。期待に応える。それのみだ。
痛みと供に、感情を思い出す。
震えなかった胸が震える。


―――――さらばだ、ハサン・ザッバーハ。

その言葉を思い出した。
英雄王に呟かれた最後の言葉。自分という存在の終わり。その時に聞いた言葉。
あの英雄王が、何故あの時自分を名前で呼んだのか。
するり、と空手の腕にナイフが現れる。

―――――墓標としては貧相だがな。
ただ、墓石に刻む名が欲しい―――――。

最後のダークを振るう。己自身の胸に突き立った誇りの刃を振るう。

―――――我に突き刺さった刃だ誇りにしても良い。
荒野で朽ち果て。自身の短刀を墓標にしよう―――――。

「そうか」
アサシンは呟いた。呟く言葉など無い、そう思っていたのに声が出た。
「そうか―――――ッ!!」

名前が欲しい。そう、ハサンとは個の名前では無く、群の名前である。
故に、それは自分の名前では無いと思っていた。
否、今でもそう思っている。その名前は己の墓標に刻むべき名では無いと思っている。

だが。

肩が貫かれる。刃は放さない。当然、衛宮士郎も取り落とさない。

それは本当に―――――?

呪いの泥の上を直走る。

誇るべき名ではないのか、例え役割でも。例え与えられた名前でも。
自分には、名乗るべき名があった。
それすら、得られないモノも居たのに。
呼ぶべき名前すらなかったモノも居たのに。

アサシンの額を触手が一撃した。
仮面が、飛ぶ。

ああ、それでも。それでも、嫌だった。
自分の名前。その程度、自分だけのモノであって欲しかった。

仮面の下にあったのは、同じ仮面では無く。

―――――だが、それを理由にするのは止めだ。
なぜなら、彼が呼んでくれた。

何もかも潰され焼け爛れた顔では無く―――――。

英雄王が名を呼んでくれた。私の、名を。
ハサン・ザッバーハ。
そう、呼んでくれたのだ。
―――――ならば、何を躊躇う意味があるだろう。
我こそは、ハサン・ザーバッハ。山の翁。―――――アサシン。
刻んだ。胸に確かに。

―――――精悍な男の顔だった。美形ではない、目を惹くような華やかさなど無い。何処にでも居て、きっと何処かにいる。そんな男の顔だった。

アサシンはダークに移る己の顔を僅かに見た。
それでいい。
躊躇いも後悔も無い。座に帰れば消える記憶だとしても。
抱えていける。この時、この感情だけは抱えていける。

足がもつれた。限界だ。支えてきてくれた両足が崩れる。誰の足であっただろうか。
ありがとう。
呟いた言葉と同時に、崩れるように灰になっていく。
アサシンは笑った。此処は誰も立ち入らぬ地獄。真なる荒野。墓標は手の中に。欲しかった名前は胸に。

では、死のう。声を上げた。笑い声。では、死のうじゃないか。

ぐ、と腕に力を込めた。
「行くぞ」
返答は意志で来た。
彼の体に力が入るのを感じる。
アサシンはさらに深く笑った。その長腕を振る。
衛宮士郎が、孔より遥か上に投擲された。
失敗? この期に及んで? 真逆―――――!

何時だって一撃とは、振り下ろされるモノである故に!

その思考と同時に、アサシンの身体は幾重の触手に貫かれる。
構うものか。死のう。笑って死ねる自身に感謝を。笑って死ねる自信に感謝を。
ただ。最後。地面に叩きつけられるその瞬間に。目しか残っていない、そんな消え去る瞬間に。

黄金の王を見た。



走る。



高速の世界。一秒後には視界の総てが変わっている。頭の中で多くの宝具が瞬く。
英雄王を見たお陰で、武器の貯蔵には事欠かない。だが、此処で抜くべき剣は。
造るべき剣は決まっていた。
「―――――」
――お前には、無理だ。それはエミヤシロウを『突き詰めて』も不完全な投影しか出来ぬもの。

今は絶対に追いつく事の無い背中が、それは不可能だと語っていた。

解っている。だけど、これ以外にあるか。ある訳が無い。あって良い訳が無い。
この剣以外、この時、この場所で、『この世総ての悪』に振り下ろして良い剣など在りえない――!!
大丈夫だ。何度も見た。何度も味わった。最強の剣だ。出すぎた真似だって事は解っている。ああ、だがやってやれない事は無いだろう。この身はただソレのみに特化した魔術回路。確かに、エミヤシロウに出すぎた魔術行使をさせれば自滅する事は明確。

だが、この身が―――――剣を投影する事で、自滅する事は在り得ない――!!

「ギ、………、あ――ッ!!!!」
魔術回路に魔力を通せ。激鉄を叩き挙げろ。準備は良いか。
ぎし、と噛み締めた歯が鳴った。
躊躇いなんて在りえない。遠坂が言っていた。何時の記憶かは定かでは無い。だが、言っていたのだ。

魔術回路を焼き切る程に、魔力を回せば―――――。

両腕の中に不確実な剣。形を成さない、世界最強剣。
まだだ、まだだ、まだだ。
もっと、行けるだろう。
アーチャーの腕に呼応するように魔術回路が浮き上がる。

そうだ。乗せていこう。そういったな。アーチャー。
これは、正義の味方の所業だ。お前が反吐を吐く程嫌いな所業だ。
だが、憧れただろう。こんな役割に。
こんな地獄の場所で。エミヤシロウの始まりの場所で。
立ち向かう姿に憧れただろう―――――?

憧れていないなんていわせない。

力があったら、そう願ったこの場所で。
俺は―――――俺たちは今。
力を振るおうとしているんだぞ。
だったら、届かせよう。

そう、遠坂は言った。
魔術回路を焼き切る程に、魔力を回せば。

それは―――――「 」に辿り着くと―――――!!

頭の沸騰、記憶の破壊。構わない。一番大事な思い出は崩れないし、失くしてはいけない記憶は胸の奥に沈めた。日常の断片がこわれていくけど。
そこにあった覚悟を忘れない。
さあ、奇跡を起こすぞ。魔力回路を、焼き切って。命を削り取って。

抜き放つぞ、彼女の――騎士王の聖剣を。

今ここに。約束された、勝利を。
振りかざす。

頭の中で火花が散る。断線、断線、断線、筋肉というより筋が切れたような感覚。異常なまでの虚脱感。落下していくこの身。自然に浮かぶ笑み。捧げられた少女に、聖なる剣を振りかざす。真名はいらない。真名は唱える事は出来ない。これは、彼女の剣だ。形を真似ることが出来ただけでも行幸。そして、振りかざすにはそれで充分だ。
落下、落下。
孔。
白い、少女の髪。
叫び。
そして、剣を。



飛ぶ。



一瞬の眩暈。不意の攻撃。最後の足掻き。
抉るように伸びてくる、泥の槍。もう、セイバーはいない。ここで、串刺しにされて死ぬが衛宮士郎の末路か。在り得ない。信じろ。俺の背中には誰がいた。
俺の後ろには誰がいた。

いいや、今正に。

俺の前には誰がいる―――――?



「返してもらいに―――――そして返しに来たぞ! 雑念!」
黄金の鎧が砕かれる。肩が抉られ、ギルガメッシュは体制を崩した。
だが、笑う。譲ってやろう、雑種。
「―――――我が民! そして貴様に受けた何時ぞやの借りを!」
滑り込むように、手に現れる宝具。その名は、グラム。セイバーが最後に振るった剣。
渾身の力を込めて、振るった。切り裂かれる触手。
そして、落下。視界には一人の男。
行け。そう叫ぼうとして。ギルガメッシュは一瞬だけ、言葉を呑んだ。

深い笑みを浮かべ。

「行け―――――衛宮士郎ッ!!!」

そう、叫んだ。



雑種ではなく。雑種ではなく。雑種ではなく―――――!!
涙が出た。比喩ではない。胸の内ではない。今正に、涙が出た。
感情が抑えきれない。なんだろうか、これは。
拭うことが出来ないのを、幸いに感じる涙など―――――!

「――――――――――ッあああああああああああああああああああ!!!」

声は、響く。
投影された聖剣は孔を切り裂き、ソレに身を捧げた少女を切り裂く。
笑う、イリヤ。声は無い。唇だけが動いた。
が。
ん。
ば。
れ。
と、そう動いた。
今か。それとも此れからか。或いはその両方か。
肉を抉る。今正に、人を殺している。
すまない、なんて。言う事はできない。
血に染まる彼女の装束。
切り抜ける刹那、一言だけ呟いた。

「ああ、―――――解った」

聞こえたかどうかは、知らない。彼女の微笑みが見えた事だけが、唯一の救いだ。

切り抜けた。

世界が歪む。その一瞬に欠片の夢を見た。
それは、悪性と任じられた英霊と、一人の不器用な魔術師の物語。
ああ、確かにお前とはこういう出会い方もあったのかもしれない。
『この世総ての悪』に意識を向ける。
でも、さようならだ。今ここでは、俺とお前は相容れない。

そのまま士郎の一太刀は世界を割った。

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