十三式大回転

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<<   作成日時 : 2006/03/03 22:32   >>

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例えば、だ。
例えば、ボクが魔術師になれたらどんな事をしようか。と良く夢想した。
あの蟲爺を、叩き潰してやろうとか。
あの生意気な女を、ボクの下に這い蹲らせてやろうとか。
カワイソウな妹を、少し……自由にさせてやろうか、とか。
だが、実際その“例えば”が叶った時そんな事はどうでもよくなった。
いや、二つ目はどうでもよくないか。ボクは未だにアイツを下に這い蹲らせたい。
間桐慎二は聖人のような穏やかな顔をしながら、そんな事を病院のベッドの上で考えていた。

慎二の妹、間桐桜が甲斐甲斐しく慎二の世話を焼く。
慎二はその光景をぼんやりと見ていた。
(こいつもなあ……)
何でボクにこんな世話を焼くのか。
いやいや、その自問は間違っている。
既に答えが出ている事を問いかけることなど、馬鹿のすること。
つまり、衛宮士郎と遠坂凛の仲を見ていられないといった所だろうか。
そりゃ、そうだ。
間桐に売られたのが、自分で無ければ。
体を汚される事も無く、衛宮士郎の隣にいたのもこいつであろう。
慎二は優しい笑みを浮かべた。
ああ、こいつも屑だな。
頭の中で、湧き出てくる考えを打ち消す為に必死にボクの看護をしているのだろう。
なんて、馬鹿なんだろう。
桜。お前、魔術師なんだろう。だったら奪っちまえよ。
あの幸せヅラした糞野郎がそんなに欲しいんだったら、テメエの姉から奪っちまえばいいじゃないか。
桜と慎二の目が不意に合わさった。
慎二は柔和な笑みを浮かべ、桜は目を逸らした。
慎二はくふふ、と声を漏らす。
「馬鹿だなあ、お前」
慎二は軽く桜の頭を撫でた。
それに戸惑う桜。
「え、あ。にい、……さん?」
その戸惑いには何も答えず慎二は微笑んだ。

そして、桜が病室から出て行った後も、慎二は一人穏やかな表情で微笑み続けていた。
頭に浮かぶのは幾つもの顔だ。
衛宮士郎。
遠坂凛。
柳洞一成。
美綴綾子。
間桐桜。

衛宮や柳洞や美綴は要らないな。
遠坂と桜だけ生かしておこうか。
そうだ、それ以外は殺そう。

だって、間桐慎二は今や魔術師だ。
魔力を込めればぼんやりと輝く自分の腕を見つめた。

我慢する必要なんて何処にもないだろう―――――?

欲しいものは奪って、要らないものは捨てるだけ。

そう、それだけだ。



それから、数日後。
間桐慎二の衰弱が回復し、自由に動き回れるようになった日の事。
慎二は一人間桐邸の蟲蔵に篭っていた。
「ふーん」
ギルガメッシュが殺し尽くした蟲。
ぐしゃり、とその残骸を踏み潰した。
「多いというのはそれだけで気持ちが悪い、か」
成る程、確かにその通り。
慎二はひょい、ひょい、と比較的綺麗な虫の死体を拾い集めていく。
満足行く程拾ったら早々に蟲蔵を後にした。
「今だったらその気持ちが良く分かるよ」
そう、多い事は気持ちが悪い。

うじゃうじゃうじゃうじゃうじゃ。
ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。

息が詰まる。



かちゃかちゃと食器の鳴る音が聞こえる。
慎二が桜の作った料理に舌鼓を打っていると、桜がおずおずと話を切り出した。
「あの、兄さん。そろそろ先輩の家へご飯を作りにいっても…………」
最後まで言わせる事なく、慎二はその言葉を遮った。
「あー、衛宮ね。衛宮。そう、桜お前に言っておきたいことがあったんだ」
その言葉に桜が怯えた表情を浮かべる。
「おいおい、取って食おうって訳じゃないよ」
慎二は席を立ち、桜の後に立った。
肩が震えている。
後からそっと手を置いた。
「桜さあ、衛宮の事が好きなんだろう」
びくん、と桜の体が跳ねた。
慎二はその震えを、手で強く押さえ込んだ。
そっと耳元に口を近づける。
「衛宮、お前にやろうか」
「え―――――」
桜は思わず振り向こうとするが、慎二が肩を抑えている為振り向けない。
慎二は構わず話を続ける。
「ボクさ、思ったんだ。遠坂ばっかり恵まれすぎてないかってね」
一言、一言、ゆっくりと桜の耳元で呟く。
「だって考えても見ろよ。あいつは遠坂の当主で? 聖杯戦争の生き残りで? それに衛宮まで手に入れて? おいおいおい。これはちょっと恵まれすぎなんじゃないかな」
桜の肩がぶるぶる震え始める。
しかし、その震えも慎二が押さえ込んでいた。
「だから、さ。思い知らせてやろうぜ桜。何、これは別に悪い事じゃない。『遠坂』桜が手に入れていた筈の幸福を唯、返してもらうだけさ」
桜の手から、フォークが落ちた。
慎二は、肩から手を離し。それを拾う。
くるくると手の中でフォークを回す。
「桜さあ」
ぴたり、とフォークが止まった。
「憎いんだろ。」
単純。単純。単純。
羨ましい。妬ましい。一つ、たった一つだけ手順が違っていればあそこに居たのは遠坂桜の筈なのに。
桜はゆっくりと振り向いた。
慎二は微笑む。
「別にお前に何をやれって言う訳じゃないさ。唯、魔力を貸してくれればいいんだ。ボク達はもう、パスも繋がってる。お前の魔力を黙って、何の抵抗もしないでボクに貸してくれれば良い。ホントそれだけなんだ」
桜は、震える唇で一言だけ呟いた。
「それだけ、ですか」
「ああ、それだけ」
慎二は即答し、手に持ったフォークを投げてテーブルに突き刺した。
「後は、ボクが全部やってやるよ。桜、それだけで衛宮がお前のモノになるんだ。良い話だろ」
桜は黙って俯いた。
慎二は笑った。



日が傾く時刻。
生徒達の数も疎らな時刻。
校庭から、陸上部の掛け声が聞こえる。
慎二は、屋上に一人佇んでいた。
そっと、地面に手を置く。
「そりゃ、そうだよな」
くふふ、と声を漏らす。
「解除できる訳ないよなぁ、遠坂」
慎二の腕が燐光を放ち始める。

ライダーが張った結界。

「確かに蓄えられてた魔力は空になってるけどさあ」
慎二は自分に膨大な魔力の貯蔵を感じる。
これを全部注ぎ込めば話は変わるだろう。
桜の魔力を根こそぎ使うのだ。
奴は急激な略奪に苦しむだろうが。
知った事じゃない。
あいつはボクのモノだし。
結界の支点の一つに魔力を注ぎ込む。
それはあくまで、ライダーの造った結界のラインを辿るだけ。
同じ効果など及ぼさない、望みもしない。
望む効果は、唯、相手を閉じ込める事。
そして、継ぎ接ぎの命を顕現させる事。
これ程の魔力を使い。
これ程の方陣を使い。
望む効果がそれだけなのだ。
まったく、中々どうして謙虚なものだろう―――――?
「さあ、皆」
慎二の頬に汗が伝う。
「巻き添えで悪いけど、死んでよ」

その声と同時に。
穂群原学園は、外界から遮断された。



「―――――っ!!!」
背筋に走った痛みに遠坂凛は飛び上がった。
衛宮士郎も同じ痛みを感じたのか、首筋に手をやっている。
「遠坂、今の」
「……ええ」
二人は教室の窓から外を見た。
「何、あれ」
凛が呆然と呟く。
「ライダーの結界、か?」
士郎は、聖杯戦争中に僅かだけ顕現したサーヴァントの結界を思い出す。
アレは、世界を真紅に染めたがこの結界は無色だ。魔術に精通している者でなければ容易に判断できまい。『外側』からは把握もできないだろう。
これは、そういう結界だ。
士郎は咄嗟に体に何処か異常がないか確かめるが、コレといって不調は感じられない。
凛は暫し眉を顰めていたが、やがて舌打ちした。
「どうした? 遠坂」
「―――――士郎。魔術回路は正常に動作する?」
士郎はその言葉を受けて、頭の中で撃鉄を起こすイメージを立ち上げる。
だが、何時もならすんなりと行くその動作が、まったく巧くいかない。
「なんだ、これ―――――」
は、と士郎の口から吐息が漏れる。
「私の魔術回路も全く反応しない。つまり、この結界内にいる限り魔術は使えない」
士郎と凛は目を合わせた。
「士郎。この結界の意味は何だと思う?」
「……わからん」
凛は溜息をついた。
「少しは考えなさい。武器を封じられ、外界から遮断されているこの状況。これは、つまり―――――」
凛のその声と同時に、校庭から叫び声が聞こえた。
「―――――絶好の狩場ってことじゃないの」
士郎は教室を飛び出した。
呼び止める凛の声を背にして。



糞っ……!
穂群原学園陸上部部長、山岸薫は内心で毒づいていた。

校門から現れた、性質の悪い冗談のような、そうそれこそB級ホラー映画のような、ぶよぶよの化け物を見る。
最初は誰もが冗談だと思った。
本物の化け物にしてみては陳腐すぎるほど、それは継ぎ接ぎだらけだったのだ。
しかし、その化け物が近づいた陸上部の部員を―――――齧った。
下半身だけ取り残された、肉体は思い出したかのように血を噴き出し倒れ込む。
そこで、混乱が起きた。
誰かが叫び声を上げ、皆が逃げ始める。
だが、当然取り残される者もいた。
山岸は大声を上げた。
「蒔寺! 小山! 三枝を運べっ!!」
ぶよぶよの化け物は、ゆっくりと人間を租借している。
骨の砕ける音が、筋肉の切れる音が山岸には聞こえた。

坊主頭の小山と既に駆け出していた蒔寺が、呆然としていた由紀香の脇を抱えて校舎を目掛けて走っていく。
山岸も逃げ遅れた、男子部員の手を取って駆け出した。
「ぶ、ちょ…………」
「喋る暇があったら走れ! 死ぬぞ!!」
そう、あれを冗談だと思ってはいけない。
常識が判断を鈍らせるとはとんだ皮肉だ。
山岸は歯を噛み鳴らした。
俺が、もっと速く気付いていれば誰も死ななかったかも知れないのに。
後から、唸り声のようなものが聞こえる。
「糞ッ!!!」
山岸は懸命に走った。
そう、山岸薫の誇りとは誰の背中も見たことがないことだ。
事、走る事に関しては山岸は絶対の自信を持っていた。
(逃げ切れる……!!)
そう、絶対に。
これ以上は、俺の仲間を死なせはしない。
山岸は手を引っ張りながら猛然と駆けた。
「こっちだ!!」
氷室鐘が、昇降口で声を上げる。
山岸は走った。

後から、足音のようなものが聞こえる。
否、這いずる音か。
追いつかれては駄目だ。
死ぬ。
「―――――ッ!!」
山岸は、昇降口に全力で滑り込んだ。
すぐさま氷室が、扉を閉める。
「はぁ……はぁ……っ」
激しく鳴る心臓を押さえ、山岸は男子部員に話しかけた。
「大丈夫か……?」
振り向いた先には。

手、しか無かった。

「…………あ?」

這いずる音を、速さで置いてきぼりにしたのでは無く。

山岸は、沈痛な顔をする氷室を見た。
ガラスの向こうに蹲る化け物が見えた。
真っ白いのっぺりとした体が、蠢き。
ごり、ごり、と口の中で何かを租借していた。

あいつを餌にして、俺は逃げたというのか。

「――――――――――」
言葉が出なかった。
山岸は、陸上部の部長だ。
実力主義な所があるとはいえ、同じ部に所属し供に練習した者達を山岸は仲間だと思っている。

山岸は、未だ握っている手を見つめた。
この手が千切れた時、あいつはどんな顔をしていたのだろうか。
遠ざかる俺の背中をどんな思いで見つめていたのか。

「部長!」
小山が、駆け寄ってくる。
「大丈夫っすか!」
隣には、無言で佇む蒔寺と、青い顔をした由紀香の姿があった。

山岸は強靭な精神力で笑って見せた。
掴んでいた手に心の中で謝罪を済ますと、それをそっと離した。

まだ、こいつらがいる。
仲間を守らないと。
俺は部長だからな。
山岸は、その言葉で思考を無理矢理止めた。

「これだけか」
氷室が、震える由紀香を落ち着けるようにそっと手を握った。
氷室の呟きに、小山が答える。
「皆、バラバラみたいっす」
小山が自信なさそうに発言をした。
「やっぱ、警察っすかね」
山岸は、その言葉に首を振った。
「連絡を取ろうにも、携帯はここに無い。職員室は一階だが」
皆が、ガラス越しに見える化け物を見ていた。
「これ以上一階に留まる、勇気も精神も俺には―――――無い」
本当は、山岸はバラバラになった部員達を探しに行きたかったが、それに他の奴を付き合わせる気は無かった。
先に外に逃がすか、何処か安全な場所を探さなくてはならない。
山岸は、歩き出す。
その後を慌てて小山が追った。
「何処に行くんすか?」
山岸は、肩を竦めた。
「逃げるんだよ」
振り返ったその顔には、気付かれない程度に引きつった笑顔が浮かんでいた。



柳洞一成は、生徒会室で一人溜息をついた。
遠坂凛と衛宮士郎が、付き合っている。
ふん、と鼻を鳴らした。
そんな事は、分かっている。
衛宮と遠坂の雰囲気が変わったことなど、当に見抜いていた。
どれ程、奴等と付き合ってきたと思っている。
衛宮士郎は親友として。
遠坂凛は好敵手として。
あの二人と関係を蜜にしてきた自分がいるのだ。
その自分が、彼と彼女の間に流れる空気の変化に気付かぬ訳があるまい。
一成は、手元にあった書類を投げ出し何となしに天井を見上げた。
「寂しいのかも、しれんな」
衛宮士郎は放課後の教室に残っている。
また自分が何か頼みごとをすれば、二つ返事で引き受けてくれるに違いなかった。
昼も誘えば、一緒に食べることも承諾してくれただろう。
だが、それは駄目だ。
今まで、苦労をしてきた親友の顔を思い浮かべる。
その顔に浮かぶ笑顔を思い浮かべる。
ああ、確かに。あの憎たらしい女なら衛宮士郎を問答無用で幸せにするに違いない。
だったら、衛宮士郎の親友、柳洞一成はその幸せを邪魔してはいけなかった。
その為に、互いの付き合いが疎遠になろうとも。
暫く、何も考えずに天井を見つめていた。
その静寂を破ったのは、叫び声だった。絶叫と言ってもいい。
それほどの、叫び声だった。
悪ふざけにしては余裕がなさすぎる。
大体もう下校時刻は過ぎていた。
今残っているのは、大会が近い陸上部の連中と一部の生徒だけだ。
その連中が、悪ふざけに叫び声など上げるか?
一成は、窓に近づき外を見た。

そこには、地獄があった。



美綴綾子は、間桐桜を胸に抱きかかえて弓道場の床下で息を潜めていた。

弓道部は今日活動していなかったが、彼女は自主練を行っていたのだ。
何せ弓というものは一日サボるだけでも勘が鈍る。
彼女には部活をやめてしまった一人の男に勝つという目標があった。
だから、努力する。
何時ものように、弓道場に行くとそこで桜が胸を押さえて蹲っていた。
ひっ、ひっ、ひっ、と引きつるような呼吸音だけが聞こえた。
綾子は急いで駆け寄ると、桜を抱きしめて背中を撫でた。
呼吸困難を起こしている。
耳元で落ち着くように呼びかけて何ども背中をさすった。
桜は、綾子をちらりと見て必死に言葉を紡ごうとしていた。
すぐさま、桜の口元に耳を寄せた。
「に……、……げ…て」
思えば、美綴綾子は桜という少女に信頼を寄せていたからそれに何の考えも挟まず従えたのだろうと思う。
こんな状態になって、必死に自分に伝えられたことが無意味の筈がないと、美綴綾子は信じることが出来た。
結果それが彼女の命を救ったのだ。

みしり、と自分の上に何かが通っているのが分かる。
綾子は桜を抱きしめた。
これは、何だ。という疑問が頭を掠めるが今考えるべき事はそんな事ではない。
どうやって『これ』をやり過ごすかという事だけだ。
戦う事などできない。綾子は唯の人間だ。
ヒーローでもなければ、超能力者でもない。
ただ、ひたすら息を殺し、腕の中で震える少女を抱きしめることしかできなかった。
みしり、みしり、と弓道場の床の上を何かが歩く。
やがて、それはゆっくりと弓道場から気配を消した。
しかし、綾子は気を抜かない。
だって、ホラー映画で良くあるではないか。
居なくなったと思ったら、そこに佇んでいただけだったという事が。
たっぷり十分は間を置いただろうか。
やっと、綾子は桜と供に弓道場の床から這い出た。
安堵の溜息と供に、磨き上げられていた筈の弓道場の床を見る。
そこには、まるでナメクジでも這った様な、べったりとした粘液が付着していた。
「何だ、これ」
思わず声に出た。
桜がその声に反応し顔を上げる。
「桜、これは一体」
「ごめんなさい」
「ん?」
「ごめんなさい」
桜は唯そう呟くだけだった。
目は虚ろで、生気がない。
綾子は、軽く溜息をついた。
「安心しな、桜。大丈夫だ」
この子は何か抱え込んでいる。そして、それを口に出すことはあるまい。
一人で抱え込み、自分だけが我慢する。
そういう子だ。
だから、かける言葉はその言葉で良かった。
「あんたのお陰で助かったんだ。誰も責めやしないさ」
綾子は、校舎を見た。
外に逃げるか?
否。
中には一応、友人がいる。
彼女はそれを見捨てる事ができる程薄情ではなく、大人でもなかった。
「桜、あんたは一人で外に避難してな」
綾子は、ひょいと弓道場に上がる。
取り敢えず、着替えなくては成るまい。
袴で行動するほど、自分は無謀ではない。
「駄目なんです」
桜の声を聞き、綾子は振り向いた。
「外には出れません」
「は―――――?」
綾子は思わず口をぽかんと開けた。
校門は開いているし、周囲を囲む壁だってそんなに高いものでもない。
出ようと思えば、簡単に出られるのだ。
「駄目なんです」
そう呟いて、桜は俯いた。
綾子は、頭を掻いた。
そう、正しいのだろうその情報は。
嘘をつく理由も意味も無い。
俄かに信じられない事だが。
その言葉は正しいのだろう。
だから、綾子は頷いた。
「分かった。じゃあ一緒に行こうか」
少し待ってて、と呟き綾子は更衣室に向って行った。
ぬらぬらと光る床を見て思う。
ああ、何かとんでもない事が起きているようだぞ、と。



牧村徹は、無口である、無表情である、無感情である。
と、良く人に見られる事が多い。
百八十の長身に、鋭い目付きがそうさせるのだろう。
牧村は、その事に良く落ち込む。
本当の牧村徹は、無口ではなく口下手で。
無表情では無く、咄嗟に表情が動かないだけであり。
無感情に見えるのは、その結果であろう。
夕日の差し込む廊下を、足音を立てて歩いていた。
溜息をつく。
この口下手や鉄面皮をどうにかせねば成るまい。
友達だっていない訳ではないが、少ないし。
将来までずっとコレで通していく訳にもいかない。

再度溜息をついた。
牧村の家は五人兄弟であり、自分の個人的な空間など無い。
故にこの顔面を矯正しようと、鏡の前に立つと兄弟にからかわれるのだ。
ふっ、と牧村は笑った。(実際には口元が引きつったようにしか見えなかったが)
クラスの連中は、何時も仏頂面な俺が学校に残りトイレの鏡の前で必死に笑顔を浮かべようとしている等とは、絶対に思わないだろう。
そんな事をぼんやりと考えていると、いきなり脇の教室から同じクラスの柳洞一成が飛び出してきた。
「む、牧村か」
青い顔をした一成は、牧村に目を向けると焦ったように言った。
「大変な事になったな。急いで職員室まで行かねば」
その言葉に牧村は首を捻った。
はて、何を彼はそんなに焦っているのであろうか。
何時も泰然と構えている彼らしくない。
その様子を気にかける事無く。一成は喋り続ける。
「丁度良かった、牧村。悪いが、端から教室を回って残っている生徒に下校を促して……」
そこで一端言葉を切り、言い直した。
「嫌、生徒会室に集るように伝えてくれ。もし、放送で下校を促したらそれに従うようにして欲しい」
牧村は、何がなんだか分からなかったが、頷いた。
牧村にとって常に堂々としている彼は、憧れであった。
その頼みを断るという選択肢が出てこなかった。
一成は、自分の顔に熱を取り戻すかのように、顔を叩いた。
「すまんな」
そう呟いて走っていった。
牧村は走り去る一成の背中を見ていたが、やがて自分も踵を返した。
取り合えずこの階から、周ることにしよう。



「ちょっと、待ちなさいよ。士郎っ!!」
凛は走る士郎の背をやっと捉えて、肩を掴んだ。
「離してくれ、遠坂!!」
士郎は、怒鳴った。
「何かが起きてる! あの叫び声を聞いただろ!」
凛は無理矢理、士郎を振り返らせ頬を叩いた。
「いい加減にしなさい、衛宮君。……この状況じゃ貴方も私も唯の人なのよ。奇跡も起こせなければ魔術で無理もできないわ」
士郎は、首を左右に振った。
「違う、違うだろ遠坂。魔術師だから、強いから、特別だから助けるんじゃないんだ」
士郎は、凛の手をそっと肩から外した。
「俺は、自分が何かをできるから行くんじゃない。何とかするから行くんだ」
凛は、言葉を詰まらせた。
それは、彼が目指す理想故の言葉。
凛は、赤い騎士の言葉を思い出す。
『私を頼む』
私はそれに何と返事をした―――――?
頷き、快諾したではないか。
凛は溜息をついた。
衛宮士郎を好きになってから絶対に溜息の数は増えただろう。
士郎は強い眼差しで凛を見つめている。
「わかったわよ。ただし、無茶はしないこと」
まあ、言っても聞かないだろうが。
士郎はにこり、と笑って頷いた。
頬が熱を持つのを感じる。
ああ、くそ。
衛宮士郎が私に惚れているのは間違い無いが。
遠坂凛も彼に惚れている。
惚れた弱みも何も無い、か。

そこに、声が掛かった。

「御ふた方。悪いけどそこまでにしてくれるか」
山岸が、階段の踊り場で呆れた顔をしていた。
後には残りの陸上部の面々が見える。
「仲むつまじいのは結構だが、道を塞がないでくれ」
山岸は、後ろのメンバーに上がってくるように促す。
「この階には何もいないのか?」
「何も―――――って?」
士郎の言葉に、山岸は自嘲気味に笑った。
「バケモノだよ。見なかったのか、校庭の……奴」
後半部分を苦々しそうに言うと、山岸は鼻を鳴らした。
「ともかく下には行かない方がいいぞ。じゃあな」
隣を通り抜けようとする山岸を士郎は呼び止めた。
「待て、不味い事が起きてるんだろ」
「ああ、そうだよ」
山岸は鬱陶しそうに士郎を見た。
「訳の分からん化け物が、そこら辺をうろついている」
「だったら、一緒に行動しよう。そっちの方が安全だ」
山岸はぎろりと士郎を睨んだ。
「御免だね。俺はテメエの面倒で精一杯なんだ。大して知らないような奴とこんな状況で一緒には行動できねえよ」
それは嘘だ。『遠坂凛』と良く一緒にいる、衛宮士郎の善人ぶりは山岸も伝え聞く所であったし、山岸個人なら彼と供に行動しても良かった。否、こちらから望んだかもしれない。
だが、と。ちらりと後を見る。
蒔寺と遠坂はクラスが同じらしく、短く会話をしていて、平気そうに見えるが。
三枝と、小山、それに氷室が心配だった。
三枝は優しく穏やかな少女でこのような事態に巻き込まれるべき人間ではない。
未だに、顔は青く微かに体は震えている。
小山は、その外見から大雑把な性格に見えるが、実は気が弱い。
そして、氷室は―――――あれを見た筈だ。
あの時、扉を閉めたのが氷室鐘なら。
俺の手を掴んでいた、男子部員が食われる所を。
氷室は三枝を冷静に宥めているが、当然彼女も平気な訳があるまい。
ああいうタイプは溜め込んで溜め込んで破裂する。
平気そうに見えるからといって、見逃していい物でもなかった。
そう、最低ラインの出すべき結果として。
山岸薫はこいつらを全員生きて外に出してやらなければならない。
その為には、あまり状況を変化させるべきではなかった。
体だけ守っても何の意味も無い。
だから、もう一度言った。
「無理なんだよ……」
そして、止めていた足を動かす。
気持ちは嬉しい。本当に。
こいつは善意で一緒に行こうと言ってくれている。
女三人抱えて、馬鹿な男二人しかいない俺達に。
一緒に生きようと言ってくれている。
士郎が山岸の肩を掴んだ。
「…………」
士郎は無言だ。
山岸も黙ってその目を見返していた。
数分、あるいは数秒だったのかもしれないが、互いに睨みあっていた。
険悪な雰囲気に成り掛けた所に、凛が口を挟む。
「いい加減になさい」
べしっと、軽く士郎と山岸の頭を叩く。
「喧嘩してどうするの、今はそんな場合じゃないでしょうが」
凛が、由紀香と氷室に向って手招きをする。
「三枝さん、氷室さん。私達と一緒に行動するのは嫌?」
由紀香が首を横に振る。
氷室はそれを見てから、自分も同意した。
「嫌じゃないそうだけど」
ふん、と鼻を鳴らして山岸を睨む。
山岸は、凛の迫力に押されて一歩退いた。
「どうかしら」
視界の端に移る、小山と目が合う。
小山は、両手を上げた。
こっちが上げたい気分だ、馬鹿野郎。
山岸も、渋々といったポーズを取りながら頷いた。
まあ、三枝や氷室が良ければいいだろう。
蒔寺と小山には、聞く必要が無い。
まだ、二人には余裕があると思うし。
鋭い瞳の、学園のアイドルを見る。
まあ、ちょっとコイツにビビったてのもアリだ。
美形な分、怒った顔が怖い。
士郎が山岸に苦笑を向けていた。
「女は選べよ」
聞こえない程度にぼそり、と呟いた。
凛の瞳が余計鋭くなった気がした。










彼等、彼女等が集っている所から少し遠い曲がり角に、牧村徹は立っていた。
話しかけるのにも気合がいった。
取り合えず、顔をがしっと掴んで揉んでみた。
「…………良し」
先程、二人ほど会って生徒会室に行くように言ったが、要領が悪かったのでかなり変な顔をされた。
今度こそは、きちんと伝えねば。

牧村は何度か、顔を揉むと意を決したように曲がり角から出た。
何人かが、こちらに気付き視線が集る。
何度も伝えるべき言葉を反復し、顔を上げた。
多くの人と目が合った瞬間、全部吹っ飛んだ。
「…………」
口を開けた状態で、固まる牧村を皆が訝しげな顔で見る。
「俺は、怪しいものじゃない」
何とかそれだけ言った。
もっと訝しげな顔で見られた。

牧村は少し泣きたくなった。



柳洞一成は、一階の職員室前まで来ていた。
外の惨状を見れば、かなりの異常事態ということが見てとれた。
ニュースで最近良く見る不審者という奴であろうか。
何にせよ、教師に連絡し然るべき処置を取らなければならない。
一成は、呼吸を整え職員室の扉をノックした。
悠長な、と内心思ったがもう無意識の内の動作だった。
「失礼しま…………」
す。とは続かなかった。
そこにあるのは、夥しい血。肉片。
そして、真っ白な巨大な芋虫のような、異形だった。
蟲は、ごりごりと口元を動かし“何か”を租借している。
でっぷりと肥えたさその体は、生理的嫌悪すら感じさせた。
一成は、呼吸すら忘れていた。
逃げようにも、膝が震えている。
否、真っ白になった頭には逃げるという選択肢すら浮かばない。
それでも、無意識の内に足は逃げ出そうと、動いていた。
ぱたん、と上履きが力なく床を叩く。
その音に、反応して。
蟲が、ぐりんとその身を捻った。
明らかに、目が合った。
あの蟲には、口しかないが、それでも“捉えられた”。
蟲が口を開いた。血が糸を引く。口の奥に――――――――――人の手が見えた。
「―――――ッ!!!!」
弾ける様に駆け出した。
呆けていたら殺される―――――否、食われる。
蟲が追ってくる気配は感じられなかったが、一成は走った。
階段を駆け上ろうと、足を踏み出そうとした瞬間、誰かに肩をつかまれた。
心臓が跳ねる。
振り向いた先には、顔見知りの美綴綾子の姿があった。
「おい、柳洞!」
「み、美綴か」
知っている人間の姿を見るだけで、どっと冷や汗が出て来た。
非日常の中の日常?
日常の中の非日常?
今はどちらに転ぶか分からない。
後には、桜が俯きながら佇んでいた。
「大丈夫か……? 凄い汗だぞ」
心配気に顔を覗き込んでくる美綴。
「あ、ああ」
一成は頭を振った。
幻覚を見たのか?
否、あの血も肉も蟲も。
全て真実。
現実逃避は赦されない。
もう、大人は此処にはいないのだ。
一成は深く息を吸った。
逃げてはいけなかった。
「美綴、間桐……さん、悪いが一緒に来てくれ」
ちらり、と綾子が、桜に視線を送る。
桜は何も反応せず唯俯いているだけだった。
「……良いけど」
その返答に頷き、一成は自分が走ってきた廊下を見た。
蟲が追って来ないのは、食事中だったからであろうか。
あの、のっぺりとした蟲の顔を思い出す。
だが、自分はアレに捉えられた。
次にアレは自分を殺しに来るのでは無いだろうか。
ぶるり、と背中が震えた。
「生徒会室に残っている生徒を集めてもらうように頼んである、先ずはそこに行こう」
人数が集れば心強い。衛宮や遠坂、美綴もいる。
この状況で信頼できる人間がいるというのはありがたかった。
……奴には、幾ら人間が集まっていても、皿の上に餌があるようにしか見えないのかもしれないが。
その考えを振り払い、綾子と桜に付いて来るように言った。

あの、蟲が自分を見ているような気がした。

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蟲の檻。(1) 十三式大回転/BIGLOBEウェブリブログ
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