十三式大回転

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<<   作成日時 : 2007/09/21 02:42   >>

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 いつから惹かれていたのかは、知らない。いつのまにか惹かれていた。自然とどんな時でも一緒にいたいと思った。望むべくではないとわかっていたのに、結局はひきずられてしまうこの気持ちの名前はいったいなんというのだろう。知りたいと思うが、分かりたくはないと、思った。
 ――理解してしまえば、耐え切れなくなるとわかっていたから。
 そう、思った。



 補習というものは誰が考え出し、そして学校組織に制度として取り込んだのか。牧原慶介は、そんなことをぼんやり考えながら学校の屋上にねっ転がって空を見ていた。雲がゆっくりと流れていく。高校生活二年目の夏休み。夏休みに入る前のテストのさんざんな点数。あれは伏線だったな。牧原は薄く笑った。特に担任の担当教科が一番点数が低かったことは極めつけだろう。だから、殆どの在校生が楽しく過ごしているだろう夏休みを補習などという理由で時間をつぶすことになったのだ。どこか世捨て人のような雰囲気があると評される両親がいない少年は細めた眼をそのまま閉じた。まあ、それも構わない。
 あたたかい空気。遠い昔にとても尊いものに抱きしめられていた記憶を思い出した。ああ、まずい。ひきずりこまれるような眠気の中で牧原は思った。夢にみるぞ。これは絶対に夢にみる。牧原慶介が敬愛してやまなかった両親のことを。息子に対して愛情と評する以外なにものでもない形で接してきた両親を夢にみてしまう。起きればいい。牧原の中に常にある冷たい部分が囁いた。みたくないなら眠らなければいい。この程度の眠気その気になれば、撥ね退けられるはずだ。もし、夢にみてみろ。また一日中、胸の奥を潰すようなあの感覚を味わうことになるぞ。――起きるべきだ。自問。牧原は少しだけ開いていた手を軽く握った。それはできない。何故なら、夢の中でもあの人たちに会えるから。自答。その先にいくら辛い現実があって自分が打ちのめされようと見る価値があると思えるから。
 牧原は思考を放棄し、心地よさに身を任せた。


 見た夢は、しあわせだった。




 牧原が目を覚ました時、視界の隅に一人の少女がいた。空はすでに夕暮れ。橙色の崩れた太陽がゆっくりと沈んでいく。そんな光景を遮るようにして一人の少女が長い黒髪を夏特有の涼やかな風に遊ばせていた。すっきりと通った鼻筋。釣り目がちな瞳。鋭いという印象を与える顔と雰囲気。
「藤枝」
 ぽつりと言葉が漏れた。寝起きのぼんやりとした頭の中に名前が浮かぶ。藤枝悠里。
 悠里は名前を呼ばれたからかゆっくりと振り返った。黒く濡れた瞳。牧原はそれをぼんやりと眺めた。学校では近寄りがたいとされる彼女だが、牧原にとってはそうではなかった。牧原にとって藤枝悠里という存在は、なんとなく隣にいる人物だった。それも少しも鬱陶しくない類の。
「慶介」
 一言だけ牧原の名を呼ぶと、悠里は牧原に近づいてきた。牧原は動かずに顔に軽い笑みを浮かべて待っていた。
 悠里はそっと牧原の隣に座る。
「どうしたの?」
「何が」
 牧原は何気なく右手で顔を覆った。
「それよりどうしたんだよ? お前は学校に用なんてないはずだろ……」
 悠里の表情は欠片も動かなかった。言葉もなかった。ただ、そっと手が動いて牧原の左手をつかんだ。
 体温が低い彼女らしい冷たさ。手が冷たい人は心が温かい。そんな文句を思い出す。他のやつは知らないが彼女だけにはそれがあてはまるな、と牧原は考えていた。
 手を握りはしなかった。悠里の指は牧原の手首に絡んだだけで、そこに軽く力をいれているだけだった。これだ。牧原は手で隠した顔の下で笑った。これだよ。悠里はどうして、こんなにも俺がいてほしい距離をとって俺に接してくれるんだろう。
「お前は」
 いいやつだな。といいかけて止めた。それは出会ったときから思っていたことだったから。
悠里の黒い瞳。それを正面から見るために顔を覆っていた手を外した。両親の夢をみたあとはいつも酷い顔をしている。自分という人間性がむきだしになった顔。見せたくなかった誰にも。特に悠里には。だが、自分の顔を覆った手を外すでもなく、下手にそらした会話を再開するでもなく。ただ、優しく。決定的なやさしさにならない場所を握ってくれた人へは、まっすぐ見るべきだと思った。口を開く。言葉の続きを。何も考えてはいなった。
だから、思ったままの言葉を口にした。

「――綺麗だな」
悠里は落とすように笑った。



 藤枝悠里は、牧村慶介の『家まで送っていく』という申し出を丁寧に断った。牧村が軽く肩を竦めて屋上からいなくなるまで決して牧村から目線を外さなかった。乱雑にのばされた髪。たれ目がちな瞳。柔らかい仕草。それを何度か胸の中で反復した。悠里はそれだけで僅かに幸せになるのだった。

 誰よりも信頼し愛している双子の姉にそのことを話したことがある。姉はどこか投げ捨てるような笑みを浮かべ。
「安上がりね」
 そう一言だけいった。

 安上がり。――――だが、それは本当に? 悠里は自分の足元を見た。日は完全に落ちていた。月光すら雲にさえぎられている暗闇の中では、悠里の足元には何も見えない。悠里は牧村に見せた笑みとはまったく違う類の笑いを浮かべた。一般に自嘲と呼べるものを。安上がりだろうか。悠里はかすかに口を開いた。渇いた呼吸音が響いた。声はでなかった。口を覆う。膝が崩れた。
 本当に、それは安上がりなのだろうか。涙がこぼれる。
 ゆっくりと隠されていた月がその姿をあらわにした。
 
 照らし出される、屋上に佇むたった一人の少女。
 ――彼女には影がなかった。

 息が、詰まる。悠里は口を覆った手をそのまま胸元に持ってきた。力強く服を握りしめる。影がない自分。こんな人間ではない存在が人を好きだと、その人の仕草をもって癒されるなど。――あっていいのだろうか。
 悠里は自嘲の笑みを濃くした。自分が己の境遇に酔っていると思った。悲劇のヒロイン気どり。笑える。
 だが、そんな内心とは裏腹に涙ばかりが零れる。そんな自分の不様さが笑えた。

 ――悠里。

 自分と同じく影のない姉の言葉。世界で一番信頼している人の言葉を思い出す。
 あの人はいつものように全てのしがらみを投げ捨てるような仕草で、清々しく言った。
 ――私はいいよ。優しい笑み。あなたが生きなさい。

 悠里はかすれた叫び声を上げた。

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