十三式大回転

アクセスカウンタ

zoom RSS かげなし2

<<   作成日時 : 2007/09/21 02:48   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 牧原慶介は街頭がまばらについている道を歩いていた。視線は前を向いているが焦点を結んでいない。悠里の事を考えているのだった。俺は嫌われたか。自分で浮かんだ考えを笑った。それはない、と。牧原は無垢な子供が両親の愛情を疑わないように思った。人として色々と欠けている所がありそんな自分自身を疎ましくも恥ずかしくも思っている男だったが、ただ一つ。藤枝悠里の自分に対する気持ちだけは疑っていなかった。それは何故か。牧原は笑った。自分にも分らなかった。きっと、答えは藤枝悠里が自分の手首に指を絡めた時の温かさに関係があるに違いない。
 既に学校からはどれぐらい離れてしまっただろうか。牧原にはわからなかった。ぼうっとして歩いていると時間の感覚も距離感も狂う。ただ、帰らねばと思った。どこか冷たさを感じさせる親戚の家ではなく。

 ――藤枝悠里が未だ泣いているであろう、あの場所へ。

 牧原は、ゆっくりと歩き出しだ。悠里の泣き顔を想像した。胸の中がざわついた。頭の中がどうにかなるほどの焦燥感。耐え切れなくなって走りだした。そして、思いだす。先ほどしていた会話を。

 本当に、彼女は学校に何をしに来たのか。

 彼女も補習? 馬鹿な。失笑する。何故、自分が眠っている間。夕日を眺めていたのか。一日の終わりと共に消えていく日を見ていたのか。彼女の手の温かさ。最後に見せた笑み。

 何か決定的な物のような気がして、牧原は走った。

 ※

 藤枝悠里と双子の姉の遥には生まれた時から、影がなかった。それを知った時の両親の絶望はどれほどだっただろうと、悠里は思う。藤枝という家系に昔から伝わる影がない子供たち。たった一つしかない命を二つに割って生まれてきたという弊害を背負う子供たち。その子供が普通の人間として生きるにはヒトの手で二つに分かれてしまった命を一つに戻すしかない。――故に、藤枝の家では病院では出産しないのだ。正常な後始末ができるように。
 だが、悠里と遥の姉妹に置いてその『正常な手順』は行われなかった。悠里と遥の両親は人間として親として子供を殺せるほど残酷ではなかったし、強くはなかった。人としては評価される優しさかもしれないが、親としては決定的な弱さだった。どちらかが死ななければならない。それは必然だったからだ。親がその選択を拒否した場合その選択肢が回ってくるのは必然的にその双子たち当人であったから。
 だが、悠里はそんな両親を恨んでいない。いつか死ななくてはならないとしても、生まれたことすら、生きているという事実すら知らずに死んでいたことを想像すると酷く怖くなるからだった。姉の遥も同意見だった。ただ、姉には姉の見解があるようだったが。
 ――悠里は自分の足元をみるたびに、いつも何かに急き立てられているような感覚を覚えた。成長するごとに死に迫っている事に狂いそうになるほどの感情の揺らめきがあった。
 眠れなかった夜なんて何度あったか、分らない。そんな夜に、なんど姉が自分を抱きしめてくれたのか分らなかった。
 悠里は夜の冷たい風に頬を撫でられて穏やかに笑った。死ぬのだ。だから、私こそが死ぬのだ。ずっと昔から決意していた。姉の温かさを感じるたびに、この同じ恐怖を背負っているのにどうしようもなく私に優しい人の為に私こそが死ななければならないと。姉が時折自分に見せる、聖人じみた笑顔を見て。この人は時が来れば私の代わりに死んでしまうことを気付いていたから。
 屋上と空を遮るフェンスにたどりつく。手をフェンスに押し当てた。かしゃん、とフェンスが鳴る。恐怖があった。これから死ぬ。あるかもしれない自分自身の未来のすべてを捨てて、何もない場所に行かねばならぬ事実に恐怖があった。

 だけど。

 悠里は笑った。自嘲でも何かが抜け落ちたような穏やかさを持った笑みでもなかった。ただ、子供のように年相応の少女のように笑ったのだ。
 まだ、笑える。悠里の瞳から涙がこぼれた。胸の奥には姉に守られた変わらない思い出があった。この思い出さえあれば、今この時に迎えようとしている自分自身の結末すら納得できるような気がした。手に力を込める。フェンスを乗り越えねばならなかった。日常から、誰も知ることのない場所へ行かねばならなかった。――――何故、自分が死ぬのに学校を選んだのか。
 悠里は一度だけ、振り返った。悠里の視線の先は、先程まで牧原が眠っていた場所があった。どうしてだろうか。どうしてだろう。壊れそうな笑みを浮かべる。答えは知っているが出したくなかった。そうするのが正しいとも思った。
 悠里はゆっくりとフェンスを乗り越えた。今、自分が立っているこの場所では少しでも強い風が吹けばバランスを崩して落ちてしまうだろう。膨らみ続ける恐怖。誰かにすがりたくなった。だが、そんな弱い自分を叱咤した。誰に助けを求められるというのだろう。真綿のような強さしか持たない自分。情けない自分。それを噛み殺して。私は、あの優しい人を生かすと決めたのではなかったか。足元を見た。影はない。そして、闇が広がっている。あの場所へ行かねばならない。怖い。だが、行かねば。どうして、私が。私が生きていると。

 ――――姉さんが死ぬ。

 ひゅう、ひゅう、と荒い呼吸が口から漏れ始めた。生きているという事はどうしてこんなにも重いのか。どうして私たちの命はこんなにも理不尽なのか。影がない。二つに分かれた命。そんな、そんな、理不尽が。何度同年代の少年少女を恨んだことだろう。特に目的もなく生きているものたち。彼らは自分が生きているという事実に感謝したことはあるのか? 例え、あるとしてもその事実を噛み締めたことがあるのか。死の恐怖におびえながら眠ったことがあるのか。
 悠里は胸の奥の何かを搔き毟りたくなった。違う。今はそんなことを考える時ではない。ただ、一歩を踏み出すときなのだ。それでいい。それで全ては解決する。
 そう分かっているのに、足はほんの少しも動かない。
「――――は」
 呆けたような声を出して、フェンスに寄り掛かった。背中越しに日常があった。両手で顔を覆った。弱かった。自分はあまりにも弱すぎた。だけど。顔を覆った手で流れてきそうな涙を押しつぶす。――だけど、そんな弱い自分と決別すると決めてここに来たのではなかったのか。
 そう、決めたはずなのに何を迷っているというのか。あまりの弱さ、酷い情けなさ。だから。

「藤枝」

 だから、聞こえたその声は幻聴だと思った。

「迎えに来た」

 己の弱さが生んだ。幻聴だと思った。助けてほしいと願った自分が生みだした浅ましさそのものだと思った。だが、背中に触れた温かさが。そうではないことを教えていた。悠里は泣いた。どうしていいかわからなくて、押し潰した筈の涙をこらえることが出来ず、泣いたのだった。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
かげなし2 十三式大回転/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる