十三式大回転

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<<   作成日時 : 2007/09/21 02:49  

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 牧原慶介はフェンスの向こうで泣いている藤枝悠里という一人の少女が酷く綺麗だと思った。状況が状況故に不謹慎な考えかもしれない。だが、月明かりに照らされて泣きじゃくる一人の人間。死のうとしている一人の人間。自分で己の生命を捨てるのは愚かな行為以外の何物でもない――などと、牧原は言わない。個人個人の人生。一人一人の苦悩。死に望む人間が抱いている理由には他人にはくだらなく思えても、その人の人生の総てを知っているもの以外は決して非難してはならないと牧原は思うのだ。
 フェンス越しに悠里の背中をなでる手。生きている命。間に合ってよかったと思う半面、止めてよかったのかとも思った。

 ――藤枝悠里は死のうと決意していたのだから。

 その決心をくじいたのは紛れもなく自分だった。例え今は弱くて、泣きじゃくっていたとしても。明日には絶対に出会うことがなかったであろう少女。いいや、やめよう。牧原は全てを投げ捨てるような笑みを浮かべた。もう止めてしまった。迎えにきたと言ってしまったのだ。
 牧原は悠里の背中に当てていた手をそっと離した。フェンスに手をかける。軽々とそれを乗り越えると、未だに泣いている悠里の隣に慎重に降りた。下を見る。深淵が口を開けていた。なるほど。苦笑を浮かべる。これは怖い。
「慶、すけ」
 悠里が顔を上げた。泣いた所為で顔が酷いことになっていた。鼻水も出ている。牧原は穏やかに笑った。浮かべていた苦笑いから苦味が抜け何か別の温かいものに取って変わられたようだった。ポケットに手を入れてあったハンカチで悠里の顔を、宝物でも磨くような丁寧な手付きで拭った。
 されるがままになっていた悠里がぽつりと声を出した。
「なにも、聞かない――の?」
 喉が枯れていて酷い声だった。牧原は少し考える素振りをした。喋りたくなったら喋ったらいい。そう言いかけて止めた。ハンカチで鼻水も拭う。そして自分のポケットにそれをねじ込んだ後に大きくため息をついて、ゆっくりと手を伸ばし軽く悠里の背中をなでた。悠里は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「慶介は凄い」
「何が?」
 牧原は優しく問い返した。悠里は再度流れてきた涙をぬぐい夜風の中を立ち上がった。
「一緒にいると」
 ――その瞬間を牧原慶介は一生忘れないだろう。藤枝悠里の笑顔。長い黒髪が風に舞った。瞳が弓を描き。唇がほころぶ。いつも見ていたどこかに陰りがある笑顔ではなく。ただ、幸せという思いを表す為の表情。
「あったかくなる」
 ああ、と牧原は思った。納得というより衝撃のような感覚を味わっていた。ああ、そうだった。自分が何故、藤枝悠里という少女を大切に思ったか。傾いていく悠里の体。その向こうには闇しかない。飲み込まれてしまえば二度と触れ合えなくなる、そういう闇しかない。思いあがっていたことを痛感する。牧原は唐突に自分の年を思い出した。十八。笑う、自嘲的に。そんな年齢の俺が、何を理解した心算でいただろうか。藤枝悠里という一人の人間の孤高さを――解かったつもりでいたのか?

 牧原はゆっくりと空へと落ちていく悠里の腰を抱き込んだ。もう片方の腕でフェンスを掴む。間違ったと思った。俺は穢したのだ。一人の少女の覚悟を。一人で夕日が沈むのを眺めていた少女の思いを壊したのだ。誰もが忌避する『死』というものに向かい会いそして接することに決めた少女の孤高を完膚なきまでに踏みにじったのだ。

 悠里の見開かれる目。その瞳の中に宿る感情。安堵八割。怒りが二割。フェンスが軋む。とっさの重心移動。倒れこむ方向の変換。非日常から日常へ。少女の非現実から現実へ。

 悠里を抱きしめながら、フェンスに背中を叩きつけた。痛み。だが、それを無視した。どんな事より先に腕の中にいる人に言わなければならないことがあった。細く吐息を吐き出した。己の未熟さと幼さ。そして情けなさを実感する。迎えにきた――? さて、俺は何所に彼女を連れ帰る気だったのか。胸の中に荒れ狂う全ての感情を捻じ伏せて声を絞りだした。

「――ごめん、俺は馬鹿だ」

 悠里は顔を牧原の胸に押し当てたまま何も言わなかった。何も、言ってくれはしなかった。



 前提条件だ。と藤枝悠里はいつも思う。姉の遥と自分が両方助かる可能性はない。絶対にない。それだけは何があっても変わらない。都合の良い奇跡など起こらない。どちらかが死ぬ。その前提条件だけは変わってくれない。
 自分たちの様な影なしの記録を集め調べている変わり者の一族の老人は言った。君たちのような例が嘗てなかったわけじゃない、と。白い頭髪。眼鏡。深い知性を宿す瞳。ただ、そこには諦観のような物が混じっている。白い口鬚を撫でながら彼は言った。
君たちのような例がなかったわけじゃない。そういった子たちがどうなったか知りたいかい、と? 私は頷いた。指針がなかった。どうやって生きていいか、どうやって死ねばいいか。参考になると思った。実践はできなくとも。
 老人はこげ茶色の瞳で私を見つめ言った。多くあった。空気に染み込むような性質の声。枯れ木のような指が安楽椅子の肘かけを叩いた。
 お互いがお互いを大切に思って、片方が自殺したことがあった。お互いがお互いに決心がつかず二人とも消えたことがあった。お互いがお互いを憎み――殺し合ったことすらあった、と。
 私はそれを聞いてぞっとした。同じような境遇の人間の思いつくことなど所詮同じだったから。生きる為には奪わなければならなかった。命を分けった兄弟或いは姉妹の命を。

「そんなのは嫌……、だった」

 喘ぐように口にした。牧原慶介の腕の中は暖かかった。抑えつけていた感情が、自分にしか分らない言葉がぼろぼろと零れ出た。
「どちらかが死ななきゃならないなんて、いやだった」
 考えてしまった。一瞬でも。憎しみあって殺し合った人たちも居たということを聞いた時。――ああ、あの優しい人を殺せば私はこれからも生きていけるのか、と。ふっと思ってしまった。思った後で吐き気がした。そんなことを考えた自分の卑しさに。

 牧原の胸を軽く悠里は叩いた。――苦しかった。遥の笑いはいつも私の心を抉った。いつも一緒にいたから、嫌だった。守ってくれる人の背中を見るたびに。階段で、屋上で、ベランダで、見るたびに。この背中を押せばと考える。意識はしない。普段は考えもしない、なのに浮かぶ。ふっと思いだしたように。
「そん――な、自分が……っ」
 怖かった。好きなのに。大好きなのに。いつも一緒にいて。いつまでも一緒にいたくて。ひょっとしたら自分自身よりも大切だと思える瞬間があって。触れると暖かくて。さわると安心して。喜んでくれると嬉しくて。――誰よりも、幸せになってほしくて。そんな風に思える人なのに。

 なのに、浮かぶ殺意は。

「怖く、て――、吐き気が、して」

 どうして、私はこんなに汚いのかと。一人で考えて悩んでも、答えなんて出なかった。多分、藤枝悠里という人間は酷く腐っているのだ。生まれた時から、その腐った人間性を備えて生まれてきたのだ。そうとしか思えない――そうでなければ、あまりにも報われない。こんな自分に優しさを注いでくれた人がいた。だから、後天的には決してこんな汚さは持てる筈がなかった。

 ――――考えた。

 どうすれば、生きていいのか。どうやって生きていいのか。
 どうやって、死に望むべきか。どうすれば、死なずに――生きていけるのか。

 考えて、考えて、考え抜いたけど。都合のいい答えなんて見つかりはしなかった。やはり死ななければならない。双子のどちらかが、死ななければならなかった。

 ――であるならば、死ぬのはどちらなのか。姉の笑顔。姉の背中。「大丈夫」微笑み。「ずっと私が守ってあげる」吐き気がする自分のおぞましい感情。ある種の決意と確信。

 死ぬのは私だ。いや、私こそが死ななければならない。私の為に死んでくれると言ってくれたあの優しい人に、生きていて欲しかった。
 
 なのに。

「わたし、は――こわく、て」
 悠里の牧原の胸を叩いていた手はどんどんと力を失っていった。牧原は腕に少しだけ力を込めた。
「きめたの、に。死ぬって、私が死ぬって――決めたのにっ……」
 牧原の服を握りしめる。勢いよく顔を上げた。
「怖くて! 怖くて……! 仕方がなかったっ!」
 荒い吐息。牧原の無表情。
「どうして、私なの……? ねえ、なんで他の誰かじゃなくて私と姉さんだったのっ!?」
 涙がこぼれる。
「ねえ、慶介! 私、死にたくない! 死にたくない……っ! もっと生きて色んなことしたいよ」
 絞り出すような声で。
「――死にたく、ないよ、ぉ」
「そうか」
 牧原の声がぽつりと辺りに響いた。努めて感情を押し殺した声だった。
「でも、……決めたんだろ」
 悠里の沈黙。牧原は軽く悠里の背中を叩いた。親が幼子にするように。
「――うん」
 悠里がうつむいて小さくうなずいた。
「だけど」
「怖い、か。それは当然だと俺は思うよ。でも、お前は死のうとしたろ。俺が止めなきゃ死んでいた」
 俺が、悪かったんだ。と牧原はつぶやいた。本当なら、藤枝悠里という少女の決心は果たされていた。
「だから、手伝ってやるよ」
「え?」
 牧原は悲しげに笑った。
「藤枝が死ぬのを、手伝ってやる。きちんと納得して死ねるようにしてやる。そして――少しでも怖くないように。俺も、一緒に」
 牧原はそこで言葉を切った。悠里は牧原が涙を流してなどいないのに泣いているように見えた。
「死んでやる」

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